午前、県民相談。午後、企業訪問。 今日は、夜かかってきた、1本の電話の、話。 “ほまれクン、元気にしよる~?” 声の主は、上島町弓削の時本さん、であった。 “うわっ、お久しぶりです~!” 10年ぶりか、いや、思い出せない、ほどであった。 私にとって懐かしい時本さん、というのは。亡き父の、当時の会社の同僚、である。 当時の2人の年頃でいうと、ツレ、であり、ダチ、であった。 ちょうど高度成長期にあたる、時代。 私が生まれた因島は、日立造船が全盛を迎え、関連産業も活況を呈していた。 人口は、5万人を超えて、因島史上、おそらく最盛期であったその時期、 今思えば、家族連れの会社行事が、何と多かったことか。 花見や、ボーリング大会や、秋の運動会や、お祭りや。 本当にあちこちよく連れていかれたし、家族ぐるみでのわきあいあいは、楽しかった。 いろんなことができて、大人っていいなぁ、ボクも早く大人になりたい、ナンテ思ったものだ。 その頃、どこにいっても、私を連れて遊んでくれたのが、時本さん、だった。 小学校の低学年の、ある時、 “ほまれクン、肩車しちゃるけん、ほれ、おじちゃんの頭を跨いでみ。” と、言われるまま、担がれると、 びっくりするほどの高さから、風景が、見えた。 一瞬、人だかりの周囲の視線が、集まった。 すっげぇ、というのと、怖―い、というのと、 それ以上に、恥ずかしーい、 と思ったことを、今でも覚えている。 以来、父が亡くなるまで、そして亡くなった後も。 私が、中学・高校・大学時代、社会人となってからも、ことあるたびに、駆けつけてお世話をしてくれた、恩人、なのだ。 その時本さんから、私に電話があった理由は。 “実は今日、参議院議員の山本ひろしさんにお会いしたんよ。 山本さん、えらいねぇ、わざわざ、弓削にまで来てくれて、おじさんみたいなもんにも、気さくに話をしてくれてねぇ、 ほんで、一応、ほまれクンも公明党じゃけん、知っとるかなぁ?と思おて聞いてみたら、 よぉく知ってますよ、言うけぇ、びっくりするやら、感動するやら、で、もう思わず、ほまれクンの声が聞きとうなってねぇ。” と、いうことだったのである。ありがとう、時本さん。 ちょうど、その日の山本ひろし参院議員のブログに、弓削での集会の様子が、写真とともにアップされていた。 いた。時本さん、だ。 その表情は、昔さながらの快活な笑顔だが、体全体には、幾分の歳月を、感じさせられた。 “おじちゃん、私も、今度ゆっくり、弓削に行かせてもらいましょうわい。暑い日が続くけど、それまで、お元気で!” 時本さんのように。 広い広い、この愛媛で。 あちこちにいらっしゃる、私がお世話になった大切な方々を、命ある限り忘れまい、絶対に忘れまい。 電話を終えて、しみじみと、あらためて決意するのであった。 ��写真:右から、若き日の時本さん、と私。)