10月最後の本日は、山形県を後にして宮城県へ向かう。委員会一行を乗せたバスは、蔵王を越え、一路、仙台市へ。 移動時間、約2時間。 本日最初の視察施設、仙台フィンランド健康福祉センターに到着。 はて、仙台に、フィンランド?来場者の誰もが最初に感じる疑問、だそうだ。 実は。 北欧のフィンランドは、福祉の産業化において世界最先端の国であり、 超高齢化と過疎化における医療と福祉の行き詰まりに対して、 産官学共同で、ITを活用した新たな福祉産業を創出することを国策とし、取り組んだ結果、見事にアウフヘーベンされたのである。 その新たなマーケットを日本の自治体に求めたところ、真っ先に手を上げ、健康福祉産業の振興に熱心であったのが、ご当地・仙台市であったという。 そして、今の日本の状況を考えるに、極めて有効な先進事例が、ここにあった。��ご参照URL⇒ http://sendai.fwbc.jp/index.htm ) 同センターを中心に、国と県が産官学を挙げて取り組む高齢者の自立支援と予防型福祉の産業化について、今後の成果に注目したい。 次に向かったのは、地方独立行政法人・宮城県立こども病院。��ご参照URL⇒ http://www.miyagi-children.or.jp/ ) はて、地方独立行政法人? 説明によると。公共と効率を両立させる公設民営方式という運営スタイル、だそうだ。 同病院は、妊娠から成人にいたる広い意味でのこどもを対象に、 高度専門医療を集約的に提供する、東北初にして唯一の中核病院、だ。 院長を初めとするスタッフのメンタリティは、高度な治療が必要とされるこども患者にとって、 最も良質で理想的な小児医療拠点をめざす、という点で、完全に一致していた。 アミューズメントパークのような造りにも、ヘリポートにも。 エレベータにも、病室にも、広場にも、その徹底したホスピタリティに、驚いた。 シャツにGパンという看護士や、保育士や。 チャイルド・ライフ・スペシャリストや、医療ソーシャルワーカーや、 ボランティア・コーディネーターなど、多岐にわたるスタッフの充実に、感嘆した。 今日、視たのは、福祉と医療の最先端。 仙台フィンランド健康福祉センターの事例のポイントは、 どこにもない新たな福祉産業の創出を地域経営戦略の1つの柱として、 高齢者をターゲットに、心と体の健康をサービスするというビジネスを、産官学あげて取り組んでいる点にあろう。 宮城県立こども病院の事例のポイントは、 元気のでるファミリーホスピタルという理念を体現化する組織を、公設民営方式で運営している点にあろう。 それらを、そのままわが愛媛に当てはめることはできないが、応用は可能、と考えたときに、その宿題の重さを痛感する。 杜の都の夕暮れを眺めながら、1日を振り返りながら、思った。 ��写真は、高齢者をターゲットに開発した、巨大文字のキーボード)
私にとって初の、県外視察が始まる。所属する環境保健福祉委員会のメンバーで、今日から3日間。 環境部門、保健福祉部門の先進地と諸施設の視察を通して、知見を深め、県政に反映させるというのが、その目的である。 初日の本日は、山形県。 伊丹空港を経由し、降り立ったのは、山形空港。さすがに東北、快晴なのに、肌寒い。 将棋の駒で有名な天童市を抜け、私たちが向かったのは、長井市。 途中のいたる所に、さくらんぼ農場を目にする。さすがは、本場である。 人口31,000人のこの町で、市民総ぐるみで取り組む“レインボープラン”について、NPO法人レインボープラン市民市場「虹の駅」にて、担当者からお話を伺った。 このプランは、ひとことで言うと、生ごみの循環システムである。 農家と、消費者、つまり市民が協力して、生ゴミを堆肥に変え、土に還元することで、栄養豊かな有機作物として食の安全を確保させると同時に、環境保全と農家の活性化と、コミュニティとしての地域づくりに資するという、画期的な、価値連鎖プログラムなのである。 特に、興味深かったのは、土の重要性だ。 この構想の出発点は、土に対する危機感から出発している。いわく、昭和30年代以降の化学肥料と農薬の使用により、土がどんどん疲弊している、と。 例えば、1個のピーマンに含まれるビタミンAは昔の1/10レベル、ビタミンB1は1/3レベル、というふうに、作物本来が持つ栄養価が著しく減少している、というのだ。 そして、土の力の回復には、昔の堆肥がもっとも合理的で有効である、という。 しかし、市内に毎日生じる生ゴミを仕分け収集し、堆肥化まで行うシステム構築のためには、全面的な市民の理解・協力と、行政のバックアップがなければ成立は難しい。 その部分で、立ち上げから今日まで約20年の、草創のリーダーたちのご苦労には、まことに筆舌に尽くしがたいものがあったろう。 お話を伺い、堆肥製造プラントに移動し、生ゴミから堆肥ができるまでの工程を見学。すさまじい臭いは、確かに、昭和の時代に畑のあちこちで嗅いだ、懐かしい臭いでもあった。 百聞は一見に如かず、であった。あっという間の1日であった。 そして、今日、私が思ったのは「蘇生」ということについてである。 環境にしても、地域にしても、経済にしても。家族の関係その他も然りだが、大事なものが失われ、崩壊の危機と叫ばれて久しい。 けれど、人間には、それらを蘇らせる力がもともと備わっている、と思いたい。昔に戻る、というのではなく、現代に即したカタチで蘇生させるという意味で。 その知恵と熱意を、どう引き出し、結集させるか。そこに、これからの政治の重要な役割の1つがあるのだ、と思う。 明日は、杜の都、仙台。貪欲に、知見を深めてまいりたい。 ��写真は、途中で立ち寄った、将棋の館)
午前、10数件の県民相談に動き、午後は、久万高原町に支持者を訪ね、そして夜は、恩人のお身内のお通夜に駆けつけた。 その間、休む間もなく。今、どっと、疲労が押し寄せている。 さて、今日の特筆は、何といっても、久万高原町での訪問対話である。 約10軒ほどを、じっくりと時間をかけながら廻らせて頂いたのだが、実に、気持ちの通う本音のやりとりをさせて頂いた、と思うのだ。 いうまでもなく、お会いした方は、ほとんど高齢者の方ばかり。特に、1人の、いわゆる独居老人の男性に、心を揺さぶられた。 彼は、88歳。約20年前に奥様を亡くして以来、この地でずっと1人暮らしをされているそうだ。 しかし、最近は足腰も弱り、外出はもちろん、家の中の移動さえままならないという。ご近所の方々の配慮と支えによって、かろうじて暮らされているのだ。 その子どもさんのご家族たちも、老いたる父を心配され、機会あるごとに、松山市内で一緒に暮らそうと誘うのだが、 老父は、久万高原町から離れるくらいなら死んだほうがまし、と、頑として断られるのだそうだ。 子どもさんといっても、50代か60代であろう。そのご家族のお気持ちもわかるし、老父の思いも、よくわかる、気がする。 そのとき、政治は、と思うのだ。まずは、介護認定という手続きをご説明の上、対処を講じさせて頂いた。 でも、その先は。 そして、この老父の状況が、これからあちこちで加速度的に生じることの必然を思うとき、今の自身の非力を思い知らされる。 走ると、風を感じるように。県民生活の現場を歩くと、政治が与える影響を、肌で感じることができる。 机上でも、一律でもない、新たな政治へ。目の前の、その1人に、理不尽や不合理が行われない、温かな政治へ。 愛媛における、そのグランドデザインと、実現を、老父に誓う。答えは、まだない。けれど、必ず、と誓う。 夕暮れの、帰り道。先週気づかなかった久万高原町の山肌が、少し紅葉の気配を見せていた。 ��老父宅前の、落ち葉の、じゅうたん)