10/3から県美術館にて開幕した「国立ロシア美術館展」も、いよいよ今日が最終日となった。 一昨日、来館者の数が実に、10万人を越えたという。 それほど多くの人を魅了してやまないロシアの至宝を、心に焼きつけるべく、小2の息子と鑑賞に訪れた。 開始時間早々にも関わらず、会場は観客でごった返していた。 一通りの鑑賞を終え、親子で語り合った。どれが一番、印象に残ったか、その理由は? 僕は、「月夜」。お月さまに海がキラキラ光って、本物のようだったから。 息子よ、これを描いたのは、イヴァン・アイヴァゾフスキーという海洋画の巨匠で、海を描かせたら、この人に勝てる人はいない、というくらいスゴイ人なんだ。 お父さんは、「教室の入口で」。この女の子、または男の子の後姿から伝わってくる、庶民の偉大さに圧倒されるから。 当時の農奴制と専制政治に虐げられる庶民の暮らしぶり、といっても小2には難しかろう。翻訳してのやりとりだったが、ふと、何で女の人ばっかりなん?と、息子から逆質問。 そういえば、女性を描いた作品がほとんどではある。 意表をつく子どもの目のつけどころには、ギブアップである。大きくなったらわかるから、と思わず誤魔化してしまった。 芸術の秋よろしく、少しばかりの子ども孝行ができたかと、会場を後にする。 女性が主役ともいうべき国立ロシア美術館展の残像から、帰宅後、買っておいた「女子の本懐」(小池百合子著/文春新書)を一気に読む。 小池氏といえば、たしか今から12年前の、1995年の参院選のときだったと思う。当時、新進党候補を支援していた私たちの前に、颯爽と、応援演説でやってきたのだ。 ドキッとするくらい美しく、ぬけるように弁舌鮮やかだったことを、今でも覚えている。まだ参議院議員になりたてだったと思うが、計算すると、今の私と同じ年齢であった。 比べるのも失礼だが、同じ年齢でもここまで能力が違うかと思わずにいられないし、女性であることを、属性に過ぎない、と言い切る彼女に、政治家としての底知れぬ凄みを感じる。 同書は、防衛大臣就任前後の日記風ドキュメンタリーが中心ではあるが、彼女がめざす、これからの政治のビジョンがわかりやすく描かれている。 そして、マックス・ウェーバーの言葉を借りて、彼女は最後を結ぶ。 「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわじわと穴をくり貫く作業である」 そして。私は一兵卒として、その作業を続ける、と。 立場も次元も異なるが、同意、全きを得た思いだ。すべての政治家から貪欲に学びたい私にとって、貴重な示唆を得た1冊であった。