今日8月8日は、そろばんの日。 無理のある語呂合わせの記念日が多い中で、この日は、とっても自然な感じがして、私は好きだ。 何を隠そう、私は、そろばん大好きっ子であった。小学2年から6年まで習って、1級をもらった。 思い出すのは、当時流行った、TVコマーシャルのCMソング。 ♪ね・が・いーましーては、トモエのそろーばん、パッチパッチパッチパチ。��中略)ト・モ・エーの、そろばん、パチパチ! 昔は、世に出る心得として、読み書きそろばん、が言われたが、大人になって、習って本当によかったな、ありがたいな、とつくづく思う。 そろばんの優れたところは、記憶力と、集中力と、計算力が養える、ということが一般にいわれるが、最も素晴らしいメリットは、右脳が開発されるという点にあるのではないか、と私は考える。 暗算を例にとると、高速で動かす指先に合わせて、珠の盤面が、頭の中で、同じ高速度で映像化されるのだから、いわば、これは究極のイメージトレーニングである。 そう考えると。 読み書きそろばんは、すべて右脳系、つまり感性の開発手段といえそうだ。日本人が西欧人に比べてロジカルに弱い、ということも少し頷ける気がする。 その、そろばんも、昭和40年代の電卓登場の頃から退潮が顕著となり、今では、習う子供たちも、そろばん市場も、縮小する一方となった。 今の子供たちの習い事は、学習塾といい、スポーツといい、音楽といい、ほとんど、次のステージに直結した実利が目的かのように見える。 決して悪くない。悪くないけれども。 次のステージよりも、むしろ次の時代を見越して、くらいの広い心を持ちたい、と思う。そして、私たちが、日本人であり続ける限り。 古きよき、こういった日本の伝統文化にもっともっと光を当てて、それに見合うべき再評価と、しっかりとした継承を行わなければ、と思う。 ひるがえって、そろばんの日に。 おもむろに、押入れからそろばんを取り出して、久しぶりに、珠を弾いてみた。予想通り、指がもつれた。