今日は、県内視察の初日。環境保健福祉委員会と総務企画委員会の16名で、東温市と西条市を訪れた。 まず、東温市。 地域新エネルギービジョン・環(わ)のまちづくり、を推進する同市では、その先進的なエネルギー環境保全への取組みについて、高須賀市長よりご説明を頂く。��ご参照URL⇒ http://www.city.toon.ehime.jp/eco/ ) そして、新エネルギーである、太陽光発電・バイオマスエネルギーの導入例として、市役所・消防署・学校給食センターなどを視察した。 その後、同市内の、愛媛県立子ども療育センターへ。 同センターは、障がい児とその親御様に対して、保健・福祉・医療・教育などの様々なサービスを提供し、わが県の地域療育の拠点として、本年4月に開所された施設であり、私自身、4/18以来、2度目の訪問となった。 こちらでは、見学中に出会う一人一人の子どもたちを慈しむように、手を取り言葉をかける、中込センター長の温かなふるまいがとても印象に残った。 次に、西条市では、食の創造館を訪れた。��ご参照URL⇒ http://www.shoku-souzou.jp/ ) こちらは、生産日本一のあたご柿を始め、県下屈指の農業地帯である同市が、有望な農産物資源の新たなブランド化とビジネス化を図るため、その一環として位置づけられている、戦略基地だ。 特に、伊藤市長自らの経営戦略、つまり西条食料産業クラスター構想に関するご説明は、非常に熱烈で、その説得力に感心することしきりであった。 両市を視察し、トップのリーダーシップ、ということを考えさせられた。自立をめざして取り組む、地方の地方の真剣さを、学ばせて頂いた。 そして、一方では、国と県の補助金活用事業ということから見ると、もう1歩踏み込んだ、リターンの視点からの検証の必要性を感じた。 1年生の私にとって、視察の初日は、刺激的なほどに有意義で、もっともっとわが愛媛の知見を広げていかなければ、と、視察・調査活動の積極を、心に誓う1日となった。 ��写真は、東温消防庁舎・防災センター内の、地震体験コーナー)
今日8月8日は、そろばんの日。 無理のある語呂合わせの記念日が多い中で、この日は、とっても自然な感じがして、私は好きだ。 何を隠そう、私は、そろばん大好きっ子であった。小学2年から6年まで習って、1級をもらった。 思い出すのは、当時流行った、TVコマーシャルのCMソング。 ♪ね・が・いーましーては、トモエのそろーばん、パッチパッチパッチパチ。��中略)ト・モ・エーの、そろばん、パチパチ! 昔は、世に出る心得として、読み書きそろばん、が言われたが、大人になって、習って本当によかったな、ありがたいな、とつくづく思う。 そろばんの優れたところは、記憶力と、集中力と、計算力が養える、ということが一般にいわれるが、最も素晴らしいメリットは、右脳が開発されるという点にあるのではないか、と私は考える。 暗算を例にとると、高速で動かす指先に合わせて、珠の盤面が、頭の中で、同じ高速度で映像化されるのだから、いわば、これは究極のイメージトレーニングである。 そう考えると。 読み書きそろばんは、すべて右脳系、つまり感性の開発手段といえそうだ。日本人が西欧人に比べてロジカルに弱い、ということも少し頷ける気がする。 その、そろばんも、昭和40年代の電卓登場の頃から退潮が顕著となり、今では、習う子供たちも、そろばん市場も、縮小する一方となった。 今の子供たちの習い事は、学習塾といい、スポーツといい、音楽といい、ほとんど、次のステージに直結した実利が目的かのように見える。 決して悪くない。悪くないけれども。 次のステージよりも、むしろ次の時代を見越して、くらいの広い心を持ちたい、と思う。そして、私たちが、日本人であり続ける限り。 古きよき、こういった日本の伝統文化にもっともっと光を当てて、それに見合うべき再評価と、しっかりとした継承を行わなければ、と思う。 ひるがえって、そろばんの日に。 おもむろに、押入れからそろばんを取り出して、久しぶりに、珠を弾いてみた。予想通り、指がもつれた。
照りつける昼下がり。ふとした脈絡で、お世話になった社長のことを思い出した。 営業でお邪魔した際、決まって待機させて頂いた、ある応接室。 その真ん中に、でーんと飾られていたのは、山本五十六連合艦隊司令長官の語録、『男の修行』であった。 いろんなクライアントにお世話になったが、70歳以上の経営者に、これを座右とされる方が多かったような気がする。 待ち時間に、いつも眺めては、内省したものだ。 いわく。 「苦しいこともあるだろう。云いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじつと、こらえてゆくのが男の修行である。 」 今から約70年前の時代精神である。 その世代の経営者にとって、まさに、この語録は、常に、孤独な、最高意思決定を背負うものの気持ちを、余すことなく表したものであり、心の支えであったろう。 翻って、男女共同参画社会をめざす現代にあって、この「男の修行」は、是非もなく、知る人ぞ知る歴史となるか。 ふとした脈絡に、この一節が、たまらなく思い出された1日であった。
AM10:00より、特別委員会が開催された。 わが県では現在、常任委員会の所管に属さない特定の案件を議会で設定し、議員と理事者で構成する、4つの特別委員会にて継続審査が行われている。��ご参照URL ⇒ http://www.pref.ehime.jp/gikai/frame/frame9.htm 議会の運営) むむむ。 いつも、よりわかりやすい表現を心がけているつもりだが、わかったようでわかりにくい説明だ。政治における業界用語には、どうしても、こうした難解がつきまとってしまう。 戸田奈津子さんの字幕がない洋画や、糸井重里さんのコピーがない80年代の西武百貨店のように、チカラある翻訳がないと、政治だってつまらない、でしょ。 と思いながら、私も、県政の、魅力ある翻訳を心に期して。 さて。 私が所属するのは、地域活性化対策特別委員会、である。県が進める様々な地域活性化事業をチェックし、質す、というのが同委員会のミッションだ。 新人の私には、すべてが初めての出来事だが、今日の特別委員会もまた初体験である。 そういうしくみになっているんだ、という直感だけで、いくつか質問を行った。もとよりの浅学披露を覚悟の、ぶっつけ本番である。 ひとくちに地域活性化といっても、これだけ県内の地域格差がはっきりとある以上、優先すべきは、経済不振地域であり、超高齢化地域であり、過疎地域というふうに、まずは議論すべき地域の特定から明確にすべきだし、活性化については、言い換えると、競争化にほかならない、と思う。 つまり、真の地域活性化対策とは、経済不振地域において、いかにして競争力あるビジネスを創り、興すのか、であり、超高齢化地域や過疎地域において、どこと競争をして、若者を呼び込み、定着させるのか、であり、そうした具体的な仮説に対する検証を行い、実行プランとして構築していくべきものであろう。 その、真の地域活性化対策は又、一人一人の生活者、一個一個の企業の、健全な競争努力にこそ、その本質があり、そのためにどうするか、という行政が果たすべき関与は、つまるところ、徹底的な規制緩和とセーフティインフラの整備、この2つに尽きはしないか、等など、あれこれ巡らすうちに、あっという間に、私史上初の特別委員会は終了した。 委員会の所要時間は、2時間強。 終了後、空腹を覚えながら、党控室に戻る。先輩議員から、ずいぶん長かったね、相当議論が伯仲したんだね、と。 通常、特別委員会は、も少しコンパクトに終わるもの、らしい。
今日は、法事で因島へと向かった。 日頃あまり構ってやれない息子を連れて、2人で小旅行がてら、といいたいところだが、実際は、とんぼ返りのドライブであった。 さて、この因島。私の父親の里であり、私自身の生まれ故郷である。 その父が亡くなって、今年でもう30年が経つ。 久しぶりに寄り合った親戚も、いつしか腰が曲がり、髪も白くなり。私も、2年前に、父の享年を超えてしまった。30年という、長さと、短さと。 ともあれ、親戚の皆が集まるところ。そこは、何年経っても、やはり同じDNAを持つ者どうし。 瞬時に、まるで同期するかのように、大家族づきあいの当時が蘇る。短時間ながら、昔話、今の話、これから先の話、に花が咲きやまず。 唸るほどに、私は父にそっくりで、どうしてそうなるのか、しぐさまで瓜二つと。真偽のほどは私には不明だが。 そして、その裏返しか。自分の息子を見ていると、よくぞそこまで、というくらい、わが欠点をコピーしてくれている。全く苦笑もので、困ったものだ。 猛暑の中を、つかの間の因島で、父を偲ぶ1日となった。 もし今、父と再会することができれば、私は、彼の言葉を待ちたい。何を聞かれるだろう、何を叱られるだろう、そして、何を誉めてくれるだろう。 謹厳実直であったがゆえに、今でも、私の中の父は、厳かだ。まじめで素直な、その一分を、父は私に譲り与えてくれたであろうか。 ありがとう、そして、がんばるけん、と思う。 私は、子供たちに、何を残してあげられるだろう。そして、何をもって偲ばれる親になれるだろう。 帰り道、車の後部座席の息子の寝顔を振り返りながら、がんばってこいよ、という父の声が聞こえた気がした。 ��写真は、生口島から見た多田羅大橋)