広陵高校というのは、何とすばらしいチームだろう。 その強さはもちろんであるが、選手のメンタリティのことである。試合終了後の談話を聞いて、また改めて記事を読んで、感動が突き抜けた。��ご参照URL⇒ http://sports.yahoo.co.jp/baseball/hs/news/20070819-00000020-mai-spo/ ) 主将のセリフは、こうだ。「絶対勝ちます。中井先生は寝とってください」。 チームの皆が、監督の体調に心を配り、自分たちですべての作戦を組み立て、必ず勝利をプレゼントする、と。 そして、監督は語る。「自ら考えて必要なことを見つける方が、生徒が育つと分かったので(すべて任せた)」。 まさに、師弟である。師匠は弟子を信じ、弟子はまた師匠に対し、結果をもって応える。 何と美しい。何と頼もしい。私の心は、割れんばかりの快哉にあふれた。 教育が目指すべきは、彼らのような人格を育成することである。少なくとも私は、確信をもって、そのことを学んだ。 愛媛代表であり、わが母校でもある今治西高の敗退は、確かに残念ではある。選手たちはさぞ、悔しいことだろう。悔しくてたまらないことだろう。 その心情を考えると、本当につらいが、次の、新たな目標ができたと捉え、新たなる歴史をぜひ拓いていってほしい、と思う。 そして、本当によくやりました!ありがとう!と、心の底から感謝の気持ちを持って、ねぎらいたいと思う。 最後になるが、もう一度、広陵高校の話。 彼らの合言葉に、改めて敬意を表したい。「ひとり1役、全員主役」。 この高校の本当の強さは、それを見事に体現する、その教育哲学にこそある。
溶けそうなくらい、本日もまた酷暑にて。汗にまみれながら、終日、党務にて市内を走る。 で、走るといえば、甲子園。 愛媛代表の今治西高が、痛快なる逆転勝ちで、見事、26年ぶりのベスト8進出を決めた。母校の後輩たちが、またまた、やってくれた。 特に、エースで4番の大黒柱、熊代くん。その逆転ホームランの場面には、しびれた。と同時に、彼の出身地である久万高原町を思った。 私は、同町のたくさんの方々にお世話になっている。本ブログでも、久万でのふれあいの徒然を、何度も綴ってきた。 この町の生活を取り巻く環境は、とりわけ厳しい。その中で、必死でがんばっている方々を何人も見てきた私には、その瞬間の彼らの気持ちがわかるような気がした。 皆がどれほど歓喜し、どれほど勇気づけられたことだろう、と。 私もまた同じである。26年ぶり、つまり、26年前のベスト8進出というのは、私たちの代である。 私たちに並んだ後輩たちを心から祝福するとともに、僭越ながら、声を大にして言いたい。 勢いよく追い越せ、そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。 人生の中盤に差しかかる年齢となってみれば。後輩とか、後継とか。次を担う世代が成長し活躍する、これほど嬉しいことはないなー、と思う。 一方で、自身に置き換えれば、まだまだ新人議員の身。人生の先輩からいささかなりとも心安んじられる成長を、と心に期す。 ともあれ、明日の大一番は、まさに胸突き八丁。この夏、最もタフなゲームとなるであろう。 そんな眩しい後輩たちに今一度、エールを送りたい。 勢いよく追い越せ、そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。
この暑さ、もはや異常である。今日で3日連続、40℃を超えたとのこと。 これは、国内観測史上、初めて、とのことで、地球温暖化の不気味な進行を、予感させる。 温暖化防止については、またの機会に論じるとして。 それにしても、これだけ暑いと、気力も減退するか。なかなか、1年生の私には厳しい中身の1日であった。 一方では。酷暑にあっても、ハツラツと清清しい人たちがいる。甲子園球児たちだ。 今日も、感動のドラマを繰り広げている。明日は、わが母校の今治西の登場だ。 ベスト8進出は間違いなしと見ているが、いずれにしても。奢らないよう、悔いを残さないよう、全力を出し切って戦ってほしい。 暑さをものともしない君たちの、溌剌の一投一打と全力疾走は、一服の涼風となり、爽やかにわたる風となって、私たちに元気を与えてくれるのだから。 がんばれ、今治西高。私も、負けないぞ! ふと、励ましながら、励まされる、自分に気づいた。
焼けつくような陽射しに、拭っても拭っても噴出す、汗。 今日は、新家としての墓地移転に伴う私の父の納骨と、家内の父の3回忌法要を兼ね、香川県高松市に趣く。 午後1時の、晴れ渡る、四国池田記念墓地公園。��ご参照URL⇒ http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/memorial-park/memorial_park_info_10.html )滞りなく、遺骨のご安置も済み、家族とともに、両父への感謝と報恩をご祈念する。 父が逝いて、ちょうど30年。義父の逝去は、2年前。ともに、真っ盛りの夏であった。 生前に面識のない父らだが、2人は今、隣通しに並び。私もまた、いずれの日にかお側せんその日まで安らかに、と。 果たすべき使命を胸に、2人の父を偲び、そして誓う。さあ、心にキッチリけじめもついた。 関係者へのご挨拶の後、家内の実家に戻る。 そして、束の間の休息の後、ひとり松山へ。明日も又、やるべきこと、たくさんなれば。 帰り道。高松から松山へと向かう高速道路は、まるで灯篭流しのように鮮やかで。 この夏の思い出を詰め込んで帰路を急ぐ、そんな車たちのテールランプが、途切れることなく賑やかに流れていた。
午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。 今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。 300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。その尊い命と家族の幸せを奪い、奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。 この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。 戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。 時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。 私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。 二度と戦争は、したらイカン。絶対、繰り返しちゃならんぞ。あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。 幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。 今、私たちは。 子どもたちに、その先の未来まで、これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。風化させてはならず、他人事にしてはならず。 そのために。 白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。 この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。 ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。 それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。きっと62年前と同じように。