離島から始まる、日本再生。ムムム、とページをめくる。 気になる特集タイトルは、日経ビジネス9.24号。4つの島での、起死回生の取り組みのルポである。 島根県海士町の中ノ島。岡山県笠岡市の笠岡諸島。愛知県一色町の佐久島。大分県姫島村の姫島。 ズシン、と読みごたえのある中身であった。多くの島嶼部を抱える本県にとって、十分、示唆を得ることができる。 これらの島々の、成功例、正確にいうと成功しつつある事例は、私なりに解釈すると、共通点が、3つある。 1つめは、危機感と情熱を持った最初の1人または有志から出発していること。 2つめは、彼らは、地域固有の強みを核とした新たなビジネスを試みていること。 3つめは、最初は受動・傍観のサイレントマジョリティに、やがて触発と共感と協働が起きていること。 機会を見つけ、ぜひ視察してみたいところである。島嶼部自治体各位におかれても、かの地域について、ぜひベンチマークされることをおすすめしたい。 さて、記事の中で、印象に残ったのは、中ノ島の山内町長の談。その応接室の壁には、南北を逆さまにした、日本地図が張られているのである。 こうしてみると、日本自体が中国大陸の離島であることが、よくわかり、勇気がわいてくるのだ、とのこと。 たしかに、である。離島に、弱気も引け目も、不要なのだ。 そして、町長は言う。 「日本が直面する問題を離島は先取りしている。ここで見出した解が、全国で生かされる時が来る。」 私も、完全に同意するのである。
終日、党務。種々の打合せと、研鑽を、行う。 その中で、特に、心に残ったのが、デンマークの哲学者、キルケゴール。 彼は、実存主義の創始者であり、死に至る病などの著作でも有名だが、世界中で最も多量のインクを使った人、としても有名だ。 その幼い頃から、42歳で亡くなるまで、日記を綴り続けた人。 長じてからは、自宅の各部屋にインクとペンを用意し、考えが浮かぶとひたすら書き続けたという、まさに、生涯思索した人、である。 そんな彼の金言に、心が留まる。 「人が信念を自分自身の生を通じて、行為の上で現すとき、これが信念をもっていることの唯一の真の証明ではないだろうか?」 信念は、口先ではわからない。行為として現れてはじめて、信念といえるのだ。 その通り。 「確かに、機先を制することはそれだけでも偉大な勝利である。しかし同時に、まさに初心を忘れないように行動することが重要である。」 「初めはとてもすばらしくても、その次の瞬間には、まずもって役に立つどころか、邪魔になるような場合ほど、人間にとって破滅的なものは何もないであろう。」 初心を忘れずに進み続ける。忘れたものの行き着く先は、破滅である。 あまりにも深い示唆に富んだ言葉であり、まさに、金色の言葉だ。 議員として。自身の初心である信念を、行為として見えるものにしていく。 まさに、その通り。決意も新たに、前進あるのみだ。
今日から一般質問となる。自民・民主・社民護憲連合の3会派、4名が登壇。 微妙な空気を感じ取った。議会の中に、通常とは異なる対決姿勢が生じてきている。 先の選挙結果は、地方議会にも確実に影響を与えているな、と感じる。本来、あるべき姿だし、いい変化だと思う。 論戦は大いに結構だし、政党としては望むところだが、主張が異なる場合、争点の本質は何か、ということを大事にしなければなるまい。 ここを曖昧にしてきたのが、今までの政治であったかもしれない。何をいうか、政治はそんな教科書的なキレイごとではない、とお叱りを受けるかもしれないが。 私は、今日の質問のいくつかは、マスコミが取り上げる問題も含めて、明らかに、争点がかみ合っていない印象を覚えてならない。 争点の曖昧さは、ややもすると、議論を感情論と頑迷の泥沼に陥れ、県民にわかりにくさと誤解、ひいては不信を招くことにしかならない、と思う。 まず、争点を明確にし、かつ合意した上で賛否それぞれの主張を行い、最終的に、そのどちらが、より県民に対する利益をもたらせるのか、という論を戦わせたい。 しみじみ。 政治の奥深さと厳しさを感じながら。一方で、これからの愛媛県議会が大きく変化していく兆しを予感しながら。 1つ1つのイシューに対する判断について、きちんと説明責任を果たせる、そういう自身と会派であらねば、と、今日を振り返って、思う。
代表質問、2日目。今日の登壇は、社民・護憲連合の野口議員と、わが笹岡議員。 野口議員の質問の中で、特に耳目を集めたのは、「県警職員の配置換え等に係る損害賠償請求事件の控訴」についてである。 こちらは、本会議終了後の警察経済委員会に付託され、そこでの審議・採択・一任、という運びとなった。 一方、笹岡議員の方では、「松山盲学校の、松山聾学校への移転統合」に関する質問を行い、多数の傍聴人が詰めかける中、その方々の思いを力強く代弁された。 詳細は、明日の地元紙及び後日のHP会議録等に譲るとして。 民主主義は、多様な意見を許容する。 それは、理性的対話を前提として、最終的に多数決による意思決定を行う、政治運営システムである。 であれば、個々の質問事項には、必ず、賛成と反対の立場があり、それぞれの主張根拠というものが、必ず存在する。 今日の場合は、その当たり前の現実と、そこで下さねばならない政治判断の厳しさ、ということを痛切に感じさせられた。 と、ともに。 アカウンタビリティ、いわゆる、説明責任というものの重要性が、いや増す今日。そして、とっくの昔に、情報がフラット化し、ボーダレス化してしまった、今。 政治の信頼を取り戻すためのキーワードは、オープン、であろう。もちろん、全部が全部を情報公開、などの極論は言わない。 が、少なくとも5W1Hあるいは2H、くらいのプロセスが見えないと、主権者たる、国民であり、県民であり、市民・町民である方々の理解と信頼と安心を得ることは難しいであろう。 政治の流れにおいて、はっきりと、今までとは違う場所に、我々はいる、ということに気づかねばならないのだ。 人の前灯せば、わが前明らかなり、とは先哲の言。 結局のところ、政治は主権者をどこまで信頼することができるか。そこが問われている、気がする。 1つ1つの意思決定に、説明責任を果たしながら。 県政がより開かれ、さらに信頼されるものとなるよう、微力ではあるが、精いっぱい貢献してまいりたい、と思う。
県議会も、いよいよ今日から論戦スタート。今日は、代表質問初日である。 自民党から薬師寺議員、民主党から豊島議員。各派を代表して、35分ずつの熱弁に聞き入る。 それぞれの視点が微妙に異なり、興味深い。 明日は、わが笹岡議員の代表質問。ぜひ、目のつけどころに、注目をされたい。 さて、今日も支持者からいろいろなご意見を伺う。またまた、自身の未熟を痛感。 聞くばかりでは為ならず、反論するのも意にあらず。 異なるものを、ちょっとだけ、1つだけ、高い次元での合意に持っていけるだけの人間力、のない、もどかしさ。 そんな心理的局面が、ここのところ、毎日続くようで。 前進する際の向かい風、成長する際の骨のきしみ、か。痛い、毎日。 話を変えて。 タイトルに惹かれて、読んでみた。「この国を思えばこそ、覚悟を決めて言っておきたい」。著者は、あの、和田秀樹さん。 一読して、文脈に通底する体温が、私とは全く異なることがわかった。なるほど、今日の学習は。 異なるを知る、ということだ。