公務を終え、堀之内を歩く。但し、ウォーキングではなく。 お目当ての、「国立ロシア美術館展」の鑑賞のため、である。 開催初日とあって、会場である県美術館は、来場者が引きも切らない盛況ぶりだ。作品の前の人だかりの邪魔にならないよう、じっくり鑑賞する。 おおおおぉ。 いくら美術に不勉強な私でも、目の前の1つ1つの作品に対峙して、それらが、いかに力があり価値があるか、十分すぎるほどに理解できた。 その中で。 何といっても圧巻は、イヴァン・アイヴォゾフスキー作、「アイヤ岬の嵐」。 海の難所であるクリミア半島のアイヤ岬にて座礁し、荒れ狂う嵐の海、脱出する乗組員たち、難破船で最後まで戦う青年。 襲いかかる凄まじい自然の驚異に、決然と戦いを挑む人間たち。そのドラマを通して、希望を失わない人間の強さと逞しさ、が胸に迫ってくる。 見る者に、汲めども尽きぬ勇気を与えてくれる、まさに偉大な作品、だ。 一巡しながら。 時系列を追っかけていくと、作風が次第に変化していくのがわかる。古典主義からロマン主義、リアリズムへ。 日本でいうと、江戸時代から昭和のはじめまでの長きにわたる、激動の、ロシアの息づかいが伝わってくる。 同展では、国立ロシア美術館に所蔵される約40万点のコレクションの内、ロシアの黄金時代といわれる18~20世紀の、厳選された作品101点を紹介。 初めて日本に持ち込まれた作品ばかりであり、その邂逅は正に希少価値である。 鑑賞を終えて、会場を後にしながら。ふと、道端に落ちた銀杏に足が止まったのは、自身の感性が刺激されたからか。 芸術の秋。ぜひ、皆様にも、心の保養に訪れられることをお奨めしたい、と思う。
久々に、個人的に、衝撃の1冊。驚きあり、涙あり、そして、笑いあり、感動あり。 その本のタイトルは、「そうだ、葉っぱを売ろう!」��横石知二著/ソフトバンククリエイティブ)である。 私が最近読んだ本の中で、断トツのイチオシ、である。 サブタイトルに、 “過疎の町、どん底からの再生”とあるように、わが町こそ、どん底と思っている皆様に、ぜひ、ご一読をお奨めしたい。 舞台は、徳島県勝浦郡上勝町。人口2,000人あまりの、四国で一番小さな町。 2002年あたりからマスコミが取り上げ始め、知ってる人は知っている、有名な町ではある。 私も、感慨深い。選挙期間中、行く先々で上勝町を引き合いに出し、お訴えをさせて頂いたからだ。 高齢化と過疎化に苦しむ地域にあって、この疲弊を乗り越えるヒントとして。少子化も、財政難も、医療も、福祉も、必ずクリアできることのお手本として。 上勝町にできて、愛媛にできないはずがない。地域の再生は必ずできるし、やりましょう、と。 今でも、その思いはいささかも変わらない。 さて、その地域再生の一部始終を描いた、この本は。 よそから来た一人の青年が、地元住民のネガティブな気持ちを変え、絆と葉っぱビジネスの創出を通して、仕事を変え、町を変え、そして歴史を変えた、ドキュメントである。 至るところ、感動だらけで、あっという間に、付箋だらけとなってしまった。 本当にお奨めしたいので、あえて詳細には触れない。事実が、すべてを物語ってくれている。 それは、例えば。 Iターン・Uターンで、移住者が増え、人口が増えている事実。若者が戻り、高齢化に歯止めがかかった事実。 高齢者が元気で、老人ホームが廃止となった事実。高齢者が健康のため、医療費が抑制された事実。 他にも、このような事実がいっぱい。少し前まで、高齢化率48%の限界集落の過疎地が、である。 著者は、言う。“やってみなんだら、分からんでないか”。 全くその通り、なのである。勇み、自身の行動に代えてまいりたい、と思う。
16:00、リジェール松山での会合に出席。 「果樹生産者、農協関係者、県農林水産部と愛媛県議会果樹農業振興議員連盟との意見交換会」と、長いタイトル名の会合である。 要は。 愛媛の基幹産業である、みかんを中心とした果樹農業を、重要な政治課題として認識し、生産者と組合と役所と議員が、今後それぞれの立場から振興に向けた取り組みを行う、そういうことを確認する会議、であったかと思う。 出席した県議は、39名。その内、32名が自民党議員で、さながら、自民党部会に紛れん込んだ感あり、緊張する。 さて、会議の内容だが。 JAサイドより、最初に、県内農業・かんきつ生産状況についてのレクチャーがあり、続いて、今年度のかんきつ生産・販売状況について説明があった。 果樹農業経営を取り巻く環境と将来の見通しが、非常に厳しいことを痛感する。 それを受ける形で、県サイドより、果樹農業振興についての説明があった。いわゆるリバイタル・プランである。 目下の財政難の状況で、厳しくとも果たさねばならない、基幹産業の復興。 私も、果樹農業振興議員連盟の一員として、そもそも、みかん農家に生まれ育った感謝の意味からも、 本県の果樹農業が元気を取り戻し、明るい展望が拓けるよう、微力ながら尽力してまいりたい、と決意する。 すっかり秋めいて、今日から、10月。衣替えとともに、気持ちも新たに入れ替えて、臨みたい。
今日は9月の最終日。年度の折り返しの日、である。 私自身を振り返ると。 4月の統一選に始まり、5月は関係者へのご挨拶まわりに明け暮れ、6月は初議会・初質問・初委員会など、すべての初ものづくしに緊張し。 7月は参院選、8月は町議選と、こちらも初めての党務に終始戸惑い、9月ただ今は、2回目の議会・質問・委員会を経験させて頂いている。 人生の新たなステージを駆け出した、あっという間の半年であった、と感慨深い。新人議員としては、当然のことながら、この間の失敗は山ほどあって。 思い出すのも恥ずかしいこと、情けないこと、悔しいこと、いっぱいだ。人間としての未熟を、いやというほど思い知らされる日々の連続である。 これらをすべて糧にして、自身の成長に繋げていきたいと思う。 さて。 昨日、私が大変お世話になった方がお亡くなりになった。そして今夜、お通夜に参列し、心からのご冥福をお祈りさせて頂いた。 その方は、お会いするといつも戦時中のことを語ってくれた。戦争に対する怒りと悲しみと、それ以上に不戦への決意と。 安らかな眠りについた笑顔を拝しながら、感謝の気持ちとともに、そのご遺志を、しっかりと受け継いでいくことを心からお誓いした。 明日から10月。後半戦の始まり。 初心を貫きながら、心新たに、自身との戦いに徹してまいりたい。 ��写真は、支持者のお宅に見つけた彼岸花)
どんよりとした秋冷の本日は、娘の運動会の日であった。関係者へのご挨拶を兼ね、寸刻、出席する。 心が洗われる、そんなひと時であった。 4歳~6歳の子どもたちの、無邪気に踊り、歌い、走る姿は、この上もなく愛らしく、もう、無条件に、社会の宝もの、と思う。 階上から運動場を見下ろすと、さながら、宝石箱のようだ。 何色にも染まらず、疑わず。純粋で、澄み切った、その瞳と、心。 どこかのCMではないが、その価値、プライスレス。 惜しむらくは、全世界の子どもたちに、等しくこの光景を、と思う。 時を同じくして、生死の狭間で生きることを強いられる子どもたちがいる。そういう現実に思いを馳せると、言いようのないやるせなさが込み上げる。 眼前の賑やかさに、そう思ったのは、私だけだったろうか。ふと、子どもたちを前に、何かスピーチするなら、と考えた。 “おじさんは、議員というお仕事をしています。 それは、できるだけ困ったことが起きないように、いろんなことからみんなを守り、できるだけみんなの願いが適うように、お手伝いをするお仕事です。 そして、みんなが大きくなったときに、愛媛に生まれて育ってよかった、ありがとう、そういうふうに言ってもらえるように、そのために今できることをがんばるお仕事です。 おじさんが今日、お話したことは、みんな大きくなったら忘れているかもしれません。でも、みんなが大きくなったら、きっと今のおじさんと同じ気持ちになると思います。 20年後と、30年後と、その先は、愛媛のことも、日本のことも、世界のことだって、まぎれもなく、みんなが担っているのですから。 ちょっと早いけど、そのときのみんなに、おじさんは、宜しくお願いします、と言っておきます。 そして、今日、一生懸命がんばってくれたみんなに、心からありがとう、と、この運動場よりもいっぱいの感謝の気持ちをお伝えして、おじさんのお話を終わります。” 気恥ずかしくも、こんな感じか。 ピュアに交われば、ピュアになるのである。政治という日常の中で、本当に、心が洗われた1日であった。