午前、思いがけないメールが届く。山本ひろし参議院議員からの、激励であった。 この3連休を休まず中四国を廻られながら、その合間に、電車の中から、と思うと恐縮の極みである。 すかさずお返事を送信して、今日の、私の現場へと向かう。 1本のお電話を頂き、ある現場を見て欲しい、とのこと。行き先は、おなじみ、久万高原町である。 現場は険しく、河川のかなりの上流に位置する。奥深い山道の草むらをかき分けながら、岩苔に足をとられないよう、注意深く進む。 事情をしっかりと伺い、ご要望をお預かりした。しかしながら、この、お預かりするということは、とても重たいことなのである。 要望が実現できれば何も問題ない。エブリワン ハッピー、だ。 が、全部が全部、実現できるとは限らないのであって。問題は、実現できない場合、だ。 なぜ、できないのか、という説明責任、また次善策、もしくは善処の見通し、を示し、了承を頂いて初めて、お預かりしたものをお返しできたといえるのであろう。 そこの難しさを、思う。と同時に、知見の必要を痛感する。 今の私は、専門的な話になると、頭の中は虫食い状態で、主旨を把握するのに精一杯だからだ。 国語の文章問題などで、キーワードの囲みに、適切な言葉を当てはめるように。文脈と要点を掴まえて、それから調べる、その繰り返し。 テストなら試験範囲というものがあるが、生活には、課題の範囲は、ない。ならば、議員でいる間は、どれだけ勉強しても、卒業というものはないのかもしれない。 連日、様々な方からご相談を頂きながら、体当たりの日々が続く。しんどいと感じるとき、それは訓練だから、と思う。 だから、がむしゃらに、と思った。厳しい訓練を乗り越えて、本当の意味で、皆様の確かなお力になれるように。 と、そよ風に揺れるオレンジ色のコスモスたちが、ちょこっと、肩に力の入りがちな私を見透かすように、 自然体でね、と、釘を刺すように、ニッコリささやいて見えた。
「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」とは、論語の一説。 まさに、久しぶり。遠方より、ようこそ。 再会したのは、高松時代の友人と、そのご家族。国立ロシア美術館展を鑑賞しに来られたのだそうだ。 連絡を受け、食事をしながら、また、楽しからずや、な、ひとときとなった。 思えば、最初に彼と出会ったのは、今から約15年前。 お互い若く、ともに、とんがっていた20代の私たちは、よく衝突した。仕事も、性格も、考え方も、ほとんど180°違うのだから、当然だ。 それが最後には、また今でも、私にとって最も信頼のおける、かけがえのない大切な友人の一人となるのだから、人生は面白い。 そんな当時の思い出の1コマ1コマを手繰り寄せながら、すっかり忘れてしまったエピソードも蘇りながら、話は尽きず止まらず。 お子さんも、ずいぶん大きくなった。奥様もお変わりなく。平凡ではあるけれども、ご家族の安穏の雰囲気に、安堵が広がる思いがした。 夜も更け、再会の時間はあっという間に、過ぎた。そして、高松での再会を約しながら、散会となった。 その彼は、今、ある病と闘っている。驚いたし、とても心配しているが、同時に、彼なら必ず立ち直れると確信している。 じっくりと、とはいえ、1日も早い全快を心より祈りながら、街灯りに手を振るご家族と照れくさそうな彼を、最後までお見送りする。 ��写真は、青春が詰まった大切なバッジ)
涼やかなる時期なのに、なお汗ばむ暑い1日。 朝から夕方まで、久万高原町を走る。森を抜け、木漏れ日を浴び、すっかり脳内は、アルファ波全開状態。 地図を片手に訪れたのは、日頃、献身的にお支えを頂いている党員宅15軒。お会いしたのは、60代から90代の方々である。 いつもお世話になり、ありがとうございます。お変わりありませんか?いい日和ですね。 皆様ともに、最高の笑顔で出迎えてくださる。 日頃の、真心からのお支えに心からの感謝を述べながら、何にもまして、それぞれお元気なご様子を、たいへん嬉しく感じた。 陽だまりの縁側に腰掛けながら、ゆったりとした時間が流れる。 何か心配なことなどありませんか?と伺うと、どのお宅でも、異口同音に答が返ってきた。 それは、この町から、どんどん人が減っていくことです、と。 医療の不便、年金や介護生活の不安など、ご自身のこともあるはずなのに、そのことよりも、自分たちの町の将来が心配だ、という皆様のお気持ちを考えると。 少子高齢プラス過疎、という課題解決の難しさに、怯む気持ちを振り払いながら、政治がこの問題に死に物狂いで取り組まないで、いったい何を取り組むのか、そんな強い使命感が、ふつふつと込み上げてきた。 ふとメーターを見ると、今日1日の走行距離は150km。ということは、1軒あたりの移動距離、約10kmである。あらためて、遥かなり、久万高原町。 1日に150kmも走れてしまう、愛媛で一番、広い町を走りながら。お1人お1人の笑顔と会話を、脳裏に刻みながら。 上勝町の葉っぱ、ならぬ、久万高原町の何か、に思いをめぐらせた1日となった。
今日は、9月議会の最終日。 補正予算案を含む33議案について採択が行われ、24議案が原案可決し、請願9議案が不採択となる。 すべて常任委員会の決定の通りである。 9/20のブログにも書いたが、議案個々に対して必ず下さねばならない政治判断の厳しさと難しさ、そして、説明責任の重要性というものを、今議会では痛感させられた。 今、お1人お1人を訪ねて、じっくりと対話を重ねさせて頂いている。承る1つ1つのご要望に対して、しっかりと取り組んでまいりたい、と思う。 午後は、県民相談にて市内を走る。お伺いした1つ1つに対して、お力になれるよう知恵を絞ってまいりたい。 本当に、1つ1つなのだ、と実感する。 庶民の声を代弁し、実現するためには、たくさんの理解と協力を、まさに勝ち取らねばならない。それが議案であれば、可決させなければならない。 よく言われる、政治は数であり、現実であり、そこが難しいところ、といえる。 そのような魑魅魍魎の世界の中で、庶民の声を実現するために、私のなすべきこと。それは、知見と見識と人間力を磨いていくこと、そして味方を作り拡げていくこと、であろう。 閉会の日に。1つ1つ、そのための努力を惜しまない日々を勝ち取ってまいりたい、と思う。
県民相談対応と、党務と、企業訪問の1日。 とある企業の役員の方と面談の際、ふと考えた。ぬるま湯と茹でガエル、についてである。 民間企業に、保障というものはない。どんな企業も、維持すべき売上と利益が得られなくなれば、倒産だ。 雇用についても、しかりであろう。 だから、1日1日、真剣勝負だ。生活のかかった、シビアな毎日闘争である。 翻って、政治家はどうか。ある意味で、1度当選すると、4年なら4年の間、生活が保障される。 そうしたことが、ぬるま湯、になってはいないか。次の保障がないことを、忘れてはいないか。そんな指摘が、昔から、よく聞かれる。 私は。 政治も政治家も、これから先は、ぬるま湯ではいられない、いられるわけがない、間違いなく、そういう時代に入ったことを、強く、感じている。 ぬるま湯と感じた瞬間に飛び出さないと、茹でガエルになるのだ。 その意味で、まさに任期中は、真剣勝負。そして、勝負を決するのは、成果である、と思う。 成果というのは、支持してくださる方々の、期待成果に他ならない。 結果として利益を出せなくなった企業が、自然と淘汰されるように、成果を示せない政治家は、ごく当たり前に、その支持を失うであろう。 県民は、細大漏らさず見ているのだ。そう思うと、手抜きなどできようもない。 話を戻して。 真剣勝負のビジネスに生きる、その方の立ち居振る舞いと会話の中で、背筋がピシッとするような、有り難い、大切な何かを教えて頂いた気がする。 明日は、本会議の閉会日。次の戦いへのスタートである。 ��平和通りから見上げた午後5時の空)