2日前から予感を感じていた体調不良が、今朝、ピークとなる。 たまらず、病院で診てもらった。半年ぶりだ。 点滴を打ってもらって、あとはひたすら床に伏した。が、電話が絶えない。 内容を伺い、適宜対応をさせて頂くが、あらためて公人の厳しさというものを実感した。 日頃から、健康には臆病なくらい用心を、ということであろう。肝に銘じながら、休ませて頂く。
10/3から県美術館にて開幕した「国立ロシア美術館展」も、いよいよ今日が最終日となった。 一昨日、来館者の数が実に、10万人を越えたという。 それほど多くの人を魅了してやまないロシアの至宝を、心に焼きつけるべく、小2の息子と鑑賞に訪れた。 開始時間早々にも関わらず、会場は観客でごった返していた。 一通りの鑑賞を終え、親子で語り合った。どれが一番、印象に残ったか、その理由は? 僕は、「月夜」。お月さまに海がキラキラ光って、本物のようだったから。 息子よ、これを描いたのは、イヴァン・アイヴァゾフスキーという海洋画の巨匠で、海を描かせたら、この人に勝てる人はいない、というくらいスゴイ人なんだ。 お父さんは、「教室の入口で」。この女の子、または男の子の後姿から伝わってくる、庶民の偉大さに圧倒されるから。 当時の農奴制と専制政治に虐げられる庶民の暮らしぶり、といっても小2には難しかろう。翻訳してのやりとりだったが、ふと、何で女の人ばっかりなん?と、息子から逆質問。 そういえば、女性を描いた作品がほとんどではある。 意表をつく子どもの目のつけどころには、ギブアップである。大きくなったらわかるから、と思わず誤魔化してしまった。 芸術の秋よろしく、少しばかりの子ども孝行ができたかと、会場を後にする。 女性が主役ともいうべき国立ロシア美術館展の残像から、帰宅後、買っておいた「女子の本懐」(小池百合子著/文春新書)を一気に読む。 小池氏といえば、たしか今から12年前の、1995年の参院選のときだったと思う。当時、新進党候補を支援していた私たちの前に、颯爽と、応援演説でやってきたのだ。 ドキッとするくらい美しく、ぬけるように弁舌鮮やかだったことを、今でも覚えている。まだ参議院議員になりたてだったと思うが、計算すると、今の私と同じ年齢であった。 比べるのも失礼だが、同じ年齢でもここまで能力が違うかと思わずにいられないし、女性であることを、属性に過ぎない、と言い切る彼女に、政治家としての底知れぬ凄みを感じる。 同書は、防衛大臣就任前後の日記風ドキュメンタリーが中心ではあるが、彼女がめざす、これからの政治のビジョンがわかりやすく描かれている。 そして、マックス・ウェーバーの言葉を借りて、彼女は最後を結ぶ。 「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわじわと穴をくり貫く作業である」 そして。私は一兵卒として、その作業を続ける、と。 立場も次元も異なるが、同意、全きを得た思いだ。すべての政治家から貪欲に学びたい私にとって、貴重な示唆を得た1冊であった。
家内の風邪が移ったか、体調芳しからず。夜、支持者の記念会合に参加しご挨拶させて頂く。 皆様のお元気なお姿に接し、安堵の思いが広がる。 ブログ、見てますよ。公明新聞、見ましたよ。ご活躍ですね。 ますます議員らしくなってきましたね。いつも、応援してますよ。 たくさんのご激励を頂き、ありがたくも恐縮しきりであった。 温かく長い目で、皆様に見守られ育ててもらっているのだ、ということを、心から実感し、感謝するひと時であった。 とともに、甘えてばかりはいられない、一人前を急がねば、との緊張感も同時に沸き起こるひと時であった。 ふと、先日読んだ月刊誌「潮」12月号が頭をよぎる。そこには、公明党の設立経緯が特集されていた。 いわゆる55年体制がスタートしたのは昭和30年だが、その年は又、公明党の前身が、初めて地方議会に進出した年でもある。 以来、52星霜。公明党は今、衆院31名・参院21名・地方議会3,051名を擁するまでに育てて頂いた。 その歴史の流れの中に、地方議会3,051名の中に、私は、立っているのだ。 その源流を生み出したものは何であったか、その流れを大河たらしめる必然と急所はどこにあるのか。 常に自問すべきは、私の義務である。 岩盤に爪を立てる思いで草創を築かれ、守り、拓いて来られた、万を越えるであろう多くの先輩議員の汗と、数千万を越えるであろう多くの支持者のご苦労と。 常に報恩を寄せるのは、私にとって、人間の条件である。 今日お会いしたたくさんの笑顔の支持者の皆様に、そうした思いが重なって見えた。自身の使命と責任の重さを、心に塗り固めるひと時であった。
チュン、チュン。かわいらしい、すずめのさえずりで目が覚める。 出張帰りの本日は、事務仕事を午前に終え、午後は企業を訪問する。 各社ともそれぞれに多忙な中を、笑顔でご対応頂き、本当にありがたい。近況を交換しながら、民間企業の厳しさと逞しさを、ともに感じさせられた。 夜は、出張不在中に葬儀が行われた支持者宅を、1軒1軒弔問に伺い、参列できなかったことのお詫びと、お悔やみを申し上げた。 亡くなられたある老婦人は、私の選挙のときに、元気なお姿で御粧しをして、杖をつきながらも揚々と、投票に向かったという。その後、体調を崩され、最後の1票であったと。 ある壮年の方は50代の若さで、持病の治療入院中の突然だったという。また、70代の壮年の方はガンではあったが、最後は眠るように安らかだったという。 ご遺族の、それぞれの悼みに心を重ねながら。悲しみを乗り越えて、新たな1歩を力強く踏み出されんことを、心よりご祈念させて頂いた。 誰人たりとも、生老病死を免れない人生にあって。有限、ということを思う。 それが普通、と感じているすべてのことは、実は限られているのだ。 そう思うとき、それは、有り難いことに違いない。そこに感謝が生まれるに違いない。 そして、生活者が普通に暮らせることの、有り難さの実現が、政治の使命なのだ。 弔問を通して。自身の限られた人生の中で、果たすべき使命というものを深く学ばせて頂いた。
本日は、東京都内で行われた「平成19年度愛媛みかんトップセールス」に参加した。 えひめ愛フード推進機構主催による、いわゆる、愛媛みかんのサンプリングキャンペーンである。 今が旬、これからが最需要期の愛媛みかんを、大消費地である東京で、知事自らPRを行うから、トップセールス。 私も、県議として又、県議会果樹農業振興議員連盟の1人として、愛媛みかん大使とともに、随行をさせて頂いたわけである。 さて、本日、サンプリングを行ったのは、銀座と新宿の2ヶ所。 場所は、西銀座デパート、新宿髙島屋の2Fエントランス、B1青果売場特設コーナー、の3ヶ所であった。 ちなみに、西銀座デパートでは、山本参議院議員が駆けつけられ、お忙しい中を、ともにサンプリングのお手伝いを頂き、感謝感謝である。 そして、私も。 “おいしい、おいしい、愛媛みかんです。旬のおいしさを、どうぞお召し上がりください。” 1セールスマンとして、声を限りにお手渡しをさせて頂いたが、3ヶ所とも、その人だかりといったら、ないのである。 新宿髙島屋では、行列が彼方まででき、先着500名分が数分で終了。またたくま、というのはこのことである。 地元県議としては、今日ご賞味頂いた方々から口コミが広まり、ここはぜひとも、他県ではない、愛媛みかんがたくさん売れることを、心から祈りたい。 そして、みかんの生産も販売も日本一奪回、という明るいニュースを、心待ちに待ちたい、と思う。 15:00すぎに全行程を終え、心地よい疲労に包まれながら。慌ただしい1泊2日の公務を無事務め、爆睡の内に、松山帰着となった。 PSお導き頂いた清家議連会長・寺井副会長・石川県議をはじめ、運営頂きましたすべての関係各位に心より御礼申し上げます。 ��写真左から:愛媛みかん大使との記念撮影、山本議員とのサンプリング風景)