昨日来、何人かの方から節目に際しての、お励ましを頂く。 感謝をもって、行動に変えてまいりたい、と心新たに決意する。 さて、本日は、出ずっぱりの1週間で未着手の政務に終始。 ということで、読書ネタを1つ。 ��さらば 財務省!」、という本。著者は、旧大蔵省出身の髙橋洋一氏である。 髙橋氏は、小泉・安倍改革に、官僚の立場で携わった方で、同著の時代描写は、そのときのものが中心となっている。 で、サブタイトルは、官僚すべてを敵にした男の告白、と刺激的でもあり。 そういえば、この手の出版物は、最近やたら多い気がする。元外交官や元検事、元弁護士や元社保庁職員など等。 それだけ見ると、ストレートな内部告発だし、暴露的で、個人的にはどうもちょっと、と思っていた。 実際、内部告発モノは、意趣返しの読後感が強く、私の場合、ハズレであることが多かった。 が、今回は、そうした怨嗟をほとんど感じることなく、むしろ大変勉強になったという意味で、アタリだった。 むろん、すべてを真に受けるわけにもいかないが、 安倍総理辞任の真相には、そういうことがあったんだ、とか、 あるともいい、ないともいわれる埋蔵金の構造は、そういうことだったんだ、とか、 政治家VS官僚、財政タカ派VS上げ潮派、小さな政府軍VS大きな政府軍、というVSは、衆参のねじれより、はるかに根源的で重要な問題をはらんでいるんだ、とか。 とにかく。 当事者ならではの説得力ということに違いなく、考えてみると。地方の私たちにとって、霞ヶ関や永田町の実際のところは、知る由もない。 また、彼らの不都合は決して報道されないし、報道されても実に巧妙という他なく。 そのことを前提とした範囲でのみ、私たちは知ることが可能となる。という当たり前、換言すると、疑い。 それを、常に意識した上で、個々の政治課題の本質に迫らないと、根源的なものへのアプローチはできないな、と唸らされた。 そのアプローチとは、政治改革、にほかならない。関係者を問わず、ぜひ皆様にご一読をおススメするとともに。 庶民に光をあてた、県民満足度日本一の愛媛、をめざす自身にあてはめると、もっともっと知見を蓄えねば、と思うのみである。
今日は、1年前の、今日のことを書かねばならない、と思う。 その日は、統一地方選の投開票日であり、私にとって、自身が果たすべき、大きな使命と責任が確定した日、である。 その瞬間、頭の中は真っ白で、体力はからっぽで。 大歓声に包まれながら、大恩ある支持者の皆様を前に、私は。 ただ、心の底から湧き上がる一念だけで、立っていた。 “名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。” それしかなかった。誰かに勝ろうとか周りがどうとか、そんなことは関係なかった。 ご支援くださったすべての皆様と、わが人生の師への、誓い。そのことを果たす意思があるのかどうか、本当に果たせるのかどうか。 それしかなかった。 あまりにも過分で、あまりにも多くの皆様から頂いたご期待、である。 未熟も、若輩も、不器用も。もはや言い訳のできない世界に、足を踏み入れたことを、覚悟した。 おそらく、今日からは。 政治を、泣きながら覚え、耐えながら学び、這いずり回りながら掴む、そういう日々の連続に違いないことを、重々、承知した。 あれから、1年が経った。というより、気づいたら、1年が経っていた。 振り返ると。 やはり、覚悟した通り、承知した通り、ではあったけれど、味わった感動は、辛いことを全部かき集めたよりも何倍もの大きさ、だった。 承った県民相談は、400を超えた。どれだけのお喜びの笑顔に励まされたことだろう。 議員バッジを頂いた日から1日も欠かさず綴った、弊ブログへのアクセスは、40,000を超えた。 ��Cの向こう側の皆様方に、とっても青臭いかもしれないが、毎日、決意を認めてきた。 その決意を固めさせ、初心を持続させてくださったのは、まさにPCの向こう側の皆様方に他ならない。 大小、遠近、様々な会合で、皆様からどれだけ勇気を頂いただろう。 県下各地の遊説で、立ち止まり、お手を振ってのご声援に、何度、涙をこらえただろう。 たくさんのお心こもるハガキとお手紙は、今なお、宝物のように大切にしまっている。 行き詰まりそうになったとき、百万馬力の力を頂けるからだ。 辛いことを大きく上回る、私が味わった感動は、詰まるところ、皆様への感謝である。 有難い、有難い、と、いつでもどこでも、常に感じ続けた、そんな1年であった。 今日から、2年目となるが、決意は変えないし、変わらない。 “名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。” あの日の誓いのままに、いつも感謝を忘れず、精進してまいりたい、と思う。 ��写真:今年も、見事にサクラサク。桜の営みは変わらない。去年も、きっと来年も。)
なんという、五月晴れ。 春本番を感じさせる本日は、終日、党務にて西予市へ。 どこもかしこも、桜が満開。五右衛門でなくとも、絶景かな、絶景かな、である。 聞こえてくるのは、小川のせせらぎ、うぐいすの鳴き声、香ってくるのは、木蓮や水仙や、そして、土の香り。 余分な音、人工的な匂いは、何もない。 あるがままですが何か?とでも言われそうな、大自然の堂々、を感じる町。 東京と比べると、これが同じ国か、と思う。そんなわけでついつい、の、上京ネタ第5弾。 最終日の夜、私の古巣である広告会社の先輩方と会食した。といっても、サラリーマンの町・新橋の小さな居酒屋である。 新年度になって初めての金曜日ということもあったろう、新入社員の歓迎会ということもあったろう、とにかく路地という路地は、凄まじい人いきれ、であった。 で、飛び込みでお店に入るのだが、どこも満杯。10軒近く断られ、ようやく腰を落ち着けることができたのだが。 これがまた、会話が掻き消されるような、店内の騒々しさである。味付けも、基本的に、濃い。辛い。 さても、この街に限っては。 静けさって、何ですか?暇って、どうしてですか?ということか。 そんな状況の中、久しぶりの先輩方と、盛り上がった。 近況交換から始まり、最近の業界動向や経済情報、はたまた下世話な話まで延々と、お店を変えながら転々と。 そして、盛り上がりとは別の感性で、ふと気づいた。東京は、いつから、コスモポリタンの街になったのだろう、と。 どのお店も、少なく見積もって、1/3は外国人だったし、六本木では、昼間出会う人の多くが、中国語と韓国語を話していた。 急に、そうなったわけではない、徐々に、あるいは、知らず知らず、今、気づいたというところに、重要な示唆を、感じてならない。 スケールはまったく異なるが、そういえば、松山でも今治でも、外国人を見かける頻度が多くなったことに、気づく。 このことは、これからの私たち地方の与件とすべきであろう。 ともあれ、次回を期しながら。終電タイムに合わせて、先輩方と散会したのが、3日前。 そして、今日。終日、西予市の広大な大自然を走り、様々な方と対話を交わしながら。 それでも。ここは同じ国なのだ、と思うし、ここはこれが個性なのだ、と思う。 その個性を輝くものにするために、私たちが今なすべきは何なのか。どうすれば、この町の将来に、持続可能な発展がもたらされるのか。 風に舞う、桜の花吹雪を目で追いながら、“昔、ある人が、その昔にもある人が、あなたと同じことを言ってたよ”、 そんな声が聞こえるような気がした。 妄想?ではない、あまりにも雄大な大自然の前では、わが身の凡夫を受け入れるのみ、なのである。 ��写真は、西予市の、収まり切らない大自然の、一部。)
午前、支持者会合に参加させて頂く。午後、自宅にて政務。 につき、上京ネタ第4弾。今日は、東京ミッドタウン、について。 昨年3月のグランドオープン以来、常にマスコミの注目を浴び、東京で今、最も勢いのあるスポット、と言っても過言ではなかろう。 その、東京ミッドタウンとは。 防衛庁跡地の再開発計画により誕生した、商業・ビジネス・文化等の大型複合施設であり、その半径1.6km以内に、大使館がズラリ、インタナショナルスクールがズラリ、 六本木ヒルズ、国立新美術館、赤坂Bizタワーなど挙げるとキリがない、インターナショナルなエリアなのである。 まさに、世界の交差点。恐るべし、六本木、なのである。 が、私がここに訪れた目的は、その部分のスゴさ、ではない。“ユビキタス社会”を体感すること、であった。 ユビキタス社会を、私の理解で、かいつまんでいうと。 いつでも、どこでも、誰でも、必要なときに、必要な情報やサービスが得られる、ストレスフリーのコンピュータ情報社会、となる。 で、この東京ミッドタウンに、ユビキタス・アートツアーという催しがあることを知り、これはぜひ体験を、と思ったのであった。 このツアー、要は、芸術作品のオリエンテーリング、である。四国88箇所巡り、ならぬ、六本木アート20箇所巡り、といってもよい。 つまり、ミッドタウン・タワー、イースト、ウエスト、ハイブリッドガーデン、といった広大なビルと敷地内に点在設置されたアート20作品を、 ユビキタス・コミュニケータという、携帯端末のナビゲーションにより個人で巡回する、というプログラム。 私は、7つのコースの中から、アート堪能コースを選んだ。そして、スタッフのレクチャをひと通り受けて、いざ、出発。 全館に張り巡らされたセンサーにより、イヤホンから、歩くタイミングに合わせて、実に的確な誘導アナウンスが流れる。 ほぉ~、と感心しながら、どんどん作品を巡っていった。 特に、“この作品気に入った”、と思えば、携帯端末のメニューボタンで様々なコンテンツが楽しめる。 例えば、作家のインタビュー。作品への思いや、伝えたいメッセージに聞き入る。 あるいは、製作風景。外国から石を切り出し、磨き、スタッフと議論し、岩石と格闘する風景。 完成したアートが巨大クレーンにより、数十メートルの上空から、しかもミリ単位の誤差しか許されない、シリアスな搬入設置風景など。 私は、アートには疎いと自覚するが、これなら容易に情報の深堀りが可能だし、第一、楽しめる。堪能できる。 で、全20作品を1時間強で見終えることができた。さて、ツアーを体験してつかみたかったのは、この感覚である。 いうまでもなく私は、東京ミッドタウンに、何の土地勘もない。その私が、である。 少しもうろたえることなく、広大な敷地内を誘導どおり移動できたのだ。これを、防災に使えないか、である。 いざ地震や火災などの災害が発生したときに、心理的なパニックとともに必ず起こる、情報伝達の混乱と不能。 ビル全体が、町全体が、ユビキタスであるならば。避難に必要な情報が、必要な人ごとに、町ごとに届けられるならば。 おそらく被害を、画期的最小限に抑えることができるのではないか。また。 私は、ほとんど芸術に造詣はない。放っておいても、この先、近代芸術に入門します、という可能性は極めて低い。 その私が、少しのストレスもなく、アートに触れ、感動したという事実。 これは、観光を始めとしたビジネス全般、あるいは、情操教育、生涯教育など教育全般に、十分に応用可能、と思うのである。 ユビキタス社会。それは、わたしたち公明党がめざすユニバーサル社会の、必要条件。 財政難だから、という発想は拭いたい。 県民生活の安心・安全・満足の最大化のために、そこをゴールとして何ができるか、何をなすべきか、考え続けてまいりたい。 ��写真は、東京ミッドタウン・ユビキタス・アートツアーの携帯端末。)
午後、帰松し、そのまま党務の1日。今日も、東京での話題を綴りたい。 一昨日、政所氏と別れて向かったのは、練馬区・東大泉。母校・今治西高校の同級生、鴨ちゃんを訪ねたのであった。 が、本当は軽々しく、鴨ちゃん、などと言ってはならないのである。彼は、野球部で甲子園を湧かせたヒーローなのだから。 ともあれ、今年正月の同窓会で。高校卒業以来の再会で、話が盛り上がったのである。 彼は今、“AVG.363”という、スポーツ・バーを営んでいるのだが、上京したら、一度お邪魔するね、とその時、約束をしたのである。 当時、全くといってよいほど2人に接点はなかったのだが、私には、鴨ちゃんに対する強烈な印象と親しみがあったのである。 その理由は、1冊の日記帳。色あせたが、今も私の手元に、ある。 中学時代、父親の一周忌を機に、から始まる日記だが、なぜかしら高校3年まで長続きしたものである。 読み返して、あまりにも幼い内容に1人赤面するのだが、それが、1981年7月28日の日付でピリオドとなっている。 その日の日記に、鴨ちゃんが出てくるのである。 夏の甲子園、県大会準決勝○○高校戦のその日、彼はホームランを2本放ち、快勝したのであった。 黄ばんだそのページには、躍るような文字で、“すごいなぁ、鴨ちゃん、2ホーマーおめでとう”、と、当時の喜びが記されている。 彼に対する強烈な印象と親しみは、いわば、青春日記のピリオドを打った、その色あせたページとともに、私の中にあったのである。 その後、彼らは県大会決勝を勝ち進み、甲子園ではベスト8、そして、秋の国体では見事、全国優勝を果たしたのであった。 さて、そんな野球部には、私にとってもう1人のヒーローが、いた。ケンくん、である。 当時、私は、今治の泉川あたりで下宿をしていたのだが、ひょんなことからケンくん宅に、しばらく居候をするようになったのである。 思えば、高校3年の2学期。 甲子園も終わり、夏休みも終えて、いよいよ受験一直線という時期に、私たちは意気投合した。 私は、1学期まで、進路は美容師と決め、一切勉強をしていなかったところを、恩師の青野先生の下宿訪問による激励により、進学を決意した矢先であり、 ケンくんは野球が終わって、セレクション受験とはいえ猛勉強を開始した時期であり、いわば、受験合宿のような生活が始まったのであった。 が、実際は、ほぼ毎日、脱線の日々であり、楽しくてたまらない日々であった。 そんな話で盛り上がる中、鴨ちゃんの配慮により、ケンくんと電話がつながった。“こっち、おいでや” “今から、向かうわ”、と話はまとまり、待つこと小1時間。 ケンくんが、来た。 “おーーーっ!ほまれ!全然、変わってないやん。” “ケンくんも一緒や、全然変わってへんでーーー!” で、そこからは。 20数年の空白をお互い確認するように、あるいは、20数年前にタイムスリップして。 3人の話は尽きようはずもなく、また、お店のお客様も、いつしか一体となって。 懐かしくも新しい、楽しいひと時となった。 鴨ちゃんを訪ねてきて、よかったケンくんに会えて、よかった。 その後、時間は無常にも過ぎ、明日の仕事と、終電を考え、名残惜しくも散会、となった。 帰り道。 1人、電車に揺られながら、脳裏に浮かんだのは、映画「がんばっていきまっしょい」の、ラスト200のシーン。 “スパート!スパート!” その、スローモーション・シーンに象徴される、青春のときめきと甘酸っぱさが、同級生の、2人のヒーローとの再会で、1mmも違わずに、蘇ったのであった。 ありがとう、鴨ちゃん、ケンくん! ��写真:左から、鴨ちゃん、私、ケンくん。)