午前、大洲市での弔問に出席。午後、県民相談と党務打合せ。 活動について綴れない日は、読書ネタ、というわけで、先週読んだ1冊。 ��官僚国家の崩壊」。著者は、自民党衆議院議員・中川秀直氏。 何かとその出版の思惑について、マスコミで取りざたをされているようだが、ともあれ一読。 結論として、私が理解したのは。 明治以降、実質的に官僚が支配してきた、わが国の、いわゆる官僚国家体制は、 政治との激しい抵抗・攻防の末、やがて終焉を迎えるであろう、いや終焉させなければならない、という彼の決意と覚悟であった。 驚いた。 自民党から、このようなメッセージが発信されること自体、一昔前ではありえなかった、と思うのは私だけだろうか。 もちろん、各論レベルでは容認できない主張も、ある。 特に、単純小選挙区制の導入については、私たち公明党としては反対だ。 三乗の法則が働く中で取り残される民意をどうするのか、本当に二大政党制でよいのか、という命題に対して、 まだ、十分にして決定的な、国民の合意が得られていない、と思うからであり、議論として本末転倒、と思うからである。 がしかし。 官僚主導から政治主導、中央集権から地方分権へ、大きな政府から小さな政府、という彼の文脈は、国民の空気をちゃんと読めているな、と思う。 日々の草の根対話で、庶民の皆様からお伺いするのは、そのことに他ならない。 ちなみに、本書のキーワードは、劣化したエリートによるステルス複合体、であり、それら勢力に対する戦闘メッセージ、が主題である。 言い方を変えると、透明化による政治のイノベーションだが、この流れは歴史的にして、不可逆の流れと私は確信する。 透明、ウェルカム。そして、政治の意思決定はすべからく、国民にあるということ。 この当たり前が、当たり前に行なわれる時代と状況を、私たちは、立場を超えて実現しなければならない、 と思うばかりである。そしてそれは、まず足下からと銘記し、取り組んでまいりたい。
朝、因島を出発。 松山の自宅へは、たったの2時間。あっという間の到着、だ。 かつて、しまなみの各島では。 車をいっぱい積んだフェリーが汽笛を鳴らしながら、ゆっくり、ゆっくりと、往来をしていた。 どれくらいゆっくりかというと、因島から今治まで、ざっと2時間半、である。 まさに、隔世の感あり。そして、イノベーションについて考えさせられる。 橋の出現によって、輸送手段は、海上から陸上に、大きく置き換えられた。 それは、今まで移動の選択肢がなかった島の生活者にとって、画期的であったろう。悲願というべきか。 なるほど生活者にとっては、選択肢の広がりは、そのまま利便の広がりといえよう。 一方で、選択されるサービスの提供者、つまり企業側からすると、それは競争の激化を意味する。 まさに。 あらゆる選択肢が用意される都会は、生活者にとって便利だが、企業からすると無数の競合との、生き残り競争の舞台であろう。 そして、競争によってこそ、イノベーションは生まれる。 公衆電話が携帯電話に、フィルムカメラがデジカメに、というふうに新たなる価値に置き換えられていったように。 それは、企業という人ごとではない、私たちも又、地域間競争、あるいはグローバル競争の中に、いる。 他のどの県にも、どの国にも置き換えられないような、独自の価値、新しい価値を、常に生み出していかねばならない。 シビアだが、やりがいのある時代、だ。 現に、私の周りにも、そうしたゆるぎない志を持ち、語り、チャレンジされる方が、最近とみに増えてきたように感じるからだ。 それは、政治の世界にも、ドンピシャ当てはまるであろう。生活者と、未来と、世界への、貢献競争、だ。 その正しい競争によってのみ、政治不信は必ず乗り越えられる、生活者基点の政治へのイノベーションが可能となる、と強く思う。 しまなみ海道を走りながら、イーグルスを聴きながら。 議員として真剣勝負の1日1日を、と、頭も心も引き締まるのであった。 ��写真は、因島から生名島を臨む、小さい頃の原風景)
私事で恐縮だが、今日はめでたい1日。いとこの結婚式の日、なのである。 父の弟の娘さんだから、従兄妹と書く、いとこ。 早朝、自宅を出発し、私の生まれ故郷である因島へ、向かった。 北条の海岸線を伝い、しまなみ海道を渡り、4つの島をスラロームしながら、AM9:00。 5つめの島で降りると、そこが因島、である。変わらない静けさと潮風の心地よさに包まれる。 少し早い到着となったため、幼い頃自転車で走り回った、島の半周分を回ってみた。 広く感じた通学路や大きく見えた建物も、今は縮んで見え、遠く果てしなく感じた島の外周も、今では狭く小さく感じる。 まるでガリバーのようであるが、それは景色の話。人生もまた、相対の中にこそ存在するのであろう。 さて、結婚式、である。 今日の私たち木村家の主役は、私の従兄妹である、新婦である。 その新婦を送り出す本家に、親族が続々集ってきた。 ほまれ君、久しぶりじゃね。元気にしよって?ありがと、おばちゃんも元気そうで何よりじゃが。 似たように眉毛の濃い一族で、会話の花が咲く。 その後、マイクロバスにて式場へ移動し、チャペルでの荘厳な挙式の後、披露宴に移った。 新郎側から、地元に伝わる伝統芸能による祝いの出し物が次々に披露され、釘づけになるほど目も心も奪われ、感動。 特に、えびすさんのお面をかぶった、めでたいな踊り。見ているだけで幸せになった気分。伝統芸能、バンザイだ。 私もひとこと、お祝いのスピーチを贈らせて頂いた。若いお2人とご両家ご親族に万歳、の気持ちを込めて。 そして、祝福のひとときは過ぎ、滞りなく披露宴は結ばれた。従兄妹の門出に立ち会えたことを、本当に嬉しく思う。 その後。 本家に戻り、今度は男性従兄弟同士での談義となる。久々の対話は終わらず、結局、新婦の弟と深夜まで、となった。 長く、そして、めでたい1日であった。 おじちゃん、おばちゃん、おめでとう!そして、ゆりちゃん、新郎とともに、末永くお幸せに!ね。
夕刻より、愛媛県行政書士会式典に出席。 式典に先立っての協議会が難航したため、約1時間遅れの開催、であった。 これには、国会議員、国・県の各士業関係者など、多くの来賓がおかんむり状態で、私のような端くれにはヒヤヒヤものであった。 主催者である篠森会長のご心痛やいかに、と、察しながら、粛々と会は進行していった。 さて、その行政書士だが。 それは一体どんな仕事だろう、と思う方も多いのではないだろうか。 かくいう私も議員になる以前、行政書士との接点は一度もなく。 行政書士法によれば、官公署に提出する書類その他権利義務、又は事実証明に関する書類を作成することを業とする、とある。 ふーむ。 平たく言うと、行政とのパイプ役、各種法律手続きの専門家といったところか。 懇談の席上、何人かの行政書士からお話を伺えば、同業者の供給過多、建設業界の不振をはじめとする需要減など、業界を取り巻く環境は厳しさを増しているという。 必然的に、ますます競争は過酷なものになるというわけで。語られるその目は、生き残りをかけた勝負師の目であった。 それにしても、私たち議員という仕事の裾野の広さ、あるいは守備範囲の広さ、ということをあらためて思う。 今まで何のご縁もなかった方々と、こうした接点を頂くことで、あらたな世界が見えてくる。 すると、その世界のステークホルダーから見た政治課題が、あらたに浮かび上がり。 結局、エンドレス。 その果てしなさに立ちすくむ思いと、ワクワクする衝動が入り混じった、不思議な気持ちとなる。 まだまだ駆け出しの身であれば、1つ1つ、しかし積極的に、接点を拡げてまいりたい、と思う。 ��写真は、挨拶をされる、塩崎恭久衆議院議員。)
対話の日々は、続く。そして、5月が終わろうとしている。 今月、膝をつき合わせて対話した方々の数は、約200名。先月は、約300名だったか。 このように、連日、多くの方々からお話をお伺いしていると、何だか、政治のリトマス試験紙になったかのように、感じる。 国政動向が庶民に与える影響が、赤色なのか青色なのか。同じ赤色でも、ほんのりピンクなのか、まっ赤っかなのか。 ストレートな皮膚感覚で、感じられるのである。また、たった2ヶ月で、微妙に変化する様子も。 まさに、ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、である。 さて、今日、夕暮れに包まれながら、お伺いしたのは、久万高原町。 ここは、町ものどかだが、人ものどか。人は土地から切り離せない、といつも思う。 その、のどかで純朴な皆様が、月に1度の党員会にご参集くださった。 人が集まるということを、当たり前と思ってはいけない。議員にさせて頂いた時、心に誓ったことの1つである。 農繁期でお疲れにも関わらず、ようこそおいでくださいました。 御礼を述べながら、有意義なひと時を期した。 党本部作成の政策PRビデオを上映した後、いくつかの政策学習、質疑の順で進めさせて頂いた。 特に質疑では、貴重なご意見を種々承ったが、その中で最も声が多かったのは、次の2点に集約される。 いわゆる、官僚支配の克服と、ムダの排除。 中川秀直氏が言われるところの、ステルス複合体。髙橋洋一氏が言われるところの、霞ヶ関埋蔵金。 庶民には、はっきりと見えている、ということだ。そして、そのご指摘こそ、政治不信の正体であろう。 質疑に寄せられた皆様のご期待は、公明党はこれに取り組め、である。 その通り、なのである。 説明はいらない、結果的に、もいらない。ただただ、公明党がリードして、与党として、 これだけのムダを排除しました、政治主導の構造に転換しました、 という事実を、はっきりと見せてほしい、というお訴えであった。 ずしりと、受けとめさせて頂いたこの思いを、しっかりと国に届けるとともに。 県に置き換えたとき、私自身、もっともっと力をつけなければ、と力が入った。 そして、毎月の党員会によって。 公明党議員として着実に鍛えられゆくことに、ふつふつと、感謝が込み上げてくるのであった。