午後、党会合。夜、支持団体会合へ参加。 連日のメディア報道の通り、いよいよ政局の焦点は、次期衆院選、となった。 特に。 小選挙区に候補を抱える各党とも、既に臨戦態勢を整え、活動が活発化している。 私たち公明党も、負けるわけにはいかない。 私自身、この夏。 1人でも多くの方とお会いして、1人でも多くの方と対話を進めてまいりたい。 その意味で、今日の終日にわたる会合は、重要であった。 何のため、という原点を再確認させて頂いたからである。 選挙は、勝負、だ。わずか1票差でも、負けは負け。 冷徹なほど、峻厳である。だから、勝たねばならない。 が、選挙に勝つことそれ自体が目的ではない。選挙に勝って、何をするのか、にこそ目的がある。 私たちは、生活者の声を代弁し、政治に反映させることで、庶民が、当たり前に、普通に、暮らせる世の中にしたい、のだ。 普通に子どもを産めて、安心して子育てができて、きちんと教育を受けられて、働けて、休めて、 病気になれば治療も受けられて、災害や困難は助け合って乗り越えて、 ご飯は3度食べられて、趣味も文化も楽しめて、安心して老後を過ごし、人生を全うできる、 そんな普通の生活を誰もが営むことができる、日本とわが地域にしていくこと、これが目的である。 それが、現実は、そうなっていない。 そんな庶民の、慎ましいとさえ言うべき、普通の願いを、 政治家も中央官僚も、全然わかっていないどころか、まったく逆じゃないか、 というのが、多くの国民の声であり、臨界点にまで高まった、今の政治不信の本質であろう。 私たち公明党は、 そうした多くの、庶民の声を代弁するために、存在し、そのために働く、議員集団である。 1人でも多くの庶民の声を代弁し、1つでも多くの政策を立案・実行し、 そして、1人でも多くの生活者満足につなげる。 換言すると。 1人の声に始まり、1人の満足に帰す、その間のすべてが、私たちの仕事であり、 その仕事の大きさは、有権者の皆様のご支持の大きさ、 つまり、選挙で決まる、のだ。 政治は数、数は力、と、昔から言われるが、まさに、選挙は、政治に力を与える手段である。 その手段は、有権者に与えられ、有権者は、誰に、その力を与えるか、という権利を有する。 庶民が、当たり前に、普通に、暮らせる世の中にしたいから。 その、1人でも多くの皆様に対して、私たちは、対話、を重ねてまいりたい。 そうなっていない現実の1つ1つに、このように取り組みたい、ということを、お話し、お伺いさせて頂きたいのである。 折りしも、高校野球の地方大会はクライマックス。 彼らの全身全霊をかけて戦う、あのひたむきな姿が、それが勝っても負けても、私たちの感動を誘うように。 私も、この夏、ひたむきに対話に挑戦してまいりたい、と思う。 ��写真は、久万高原町・西谷にて、清涼と癒しの、清流。)
この日は終日、県民相談。 そのうちの、とある壮年経営者との対話にて、 “社会貢献”をテーマに、話が盛り上がった。 ちなみに、グーグルで“社会貢献”を検索すると、ヒット数は766万件。 あくまで目安、だとしても、国民の関心は決して低くないし、 確かに、身近で、そうした取り組みが増えてきているな、と感じるにつけ、 その広がりと高まりには、“時代の意思”みたいな力を感じてならない。 さて、社会貢献、である。 その活動範囲は、 個人単位で行われるボランティア活動から、企業が行う慈善事業や寄附活動、また、 特定事業を目的とした、NPOやNGOなどの非営利活動など、あまりにも広く、かつ、国際的な沃野となっている。 が、新旧大小、どの社会貢献活動にもいえることは、その出発点が、 困っている人たちの力になりたい、お役に立ちたい、という意思、だ。 振り返ると、いつからか、社会活動というのは、民と官の二元論になっていた。 民間、と、行政。 つまり、 社会的ニーズの実現は、基本的にマーケットメカニズムに委ねる、とし、資本主義のルールに則った、民による活動と、 ビジネスではリターンが見込めず提供できない社会的ニーズは、公共財・サービスとして行政が担うべき、とした、官による活動と。 ところが、である。 私が今、感じるのは、最近の社会貢献活動の多くが、 民でもなく、官でもない、あるいは、民ともいえ、官ともいえる、 その二元論の“間”に存在し、広がっている、ということ、だ。 そこに、先ほど述べた、“時代の意志”を感じるのであった。 したがって、社会の利益に資する社会貢献活動は、 従来の、民と官に続いて、もう1つ、有志、を加える必要がきっとある、のだ。 言い換え、つけ加えると、それはほんのちょっと昔、それぞの地域や社会に、厳然と、あった。 コミュニティとしてのセーフティネット、だ。 今、時代は新たなカタチで、それを取り戻そうとしている、と思えてならない。 どんな社会貢献活動も、その出発点は・・・、と、先ほど述べた通り、ある志、から始まる。 民にも官にも、まだ顕在化していないけれど、そこに確かに社会的ニーズまたは課題がある、と感じ、 その実現や解決を志す人たちが、自らの取り組みで、それをサポートしよう、 そうした、志、である。 その志のもとに人が集まり、取り組んだ活動が、社会から満足され評価される、そこを目的とした社会貢献活動。 壮年経営者の方との対話から。 これからの政治は、今まであまり光の当たらなかった、 この第3ともいうべき、有志、の領域に、スポットをあて、 その社会貢献活動インフラの整備と強化、そして、点ではなく、 面としての連携機能のしくみ化、に取り組まねばならない、そんな意を強くさせて頂いた。 壮年経営者の方の志、の実現への尽力を含め、やはり、知恵は、いつも現場にある、と思った。 ひとときの貴重な対話に、心から感謝申し上げたい。 ��写真は、久万高原町の、美しすぎるほどに、青い空と白い雲。)
一昨日の、久万高原町に続いて、夜、今治市を訪れ、党員会に参加させて頂いた。 本日の開催地である、公明党・石井今治市議のお膝元・立花地区は、 高校時代、泉川町に住んでいた私にとって、完璧に、その行動圏内にあたるエリアで。 今もそうだが、郷橋あたりを通過すると、 頭の中にいつも、ゴダイゴの“ビューティフル・ネーム”が、鳴り響くのである。 名前/それは/燃える生命/ひとつの地球に/ひとりずつひとつ なんという、詞の深さ、だろう。 万一にも、地球について思いを巡らせることなどなかった当時、 燃える生命など知る由もなかったが、それでも毎日が燃えるように、無条件で楽しかった。 話が逸れた、ので戻すと。 完全に、まだ日が差す19:00。 平日にも関わらず、多くの党員の皆様が駆けつけてくださった。 私たちを、わが事として支えてくださる方々である。 私たちが、その思いを、責任をもって代弁すべき方々である。 いずこの地の、いずれの党員会にあっても、私は、ただただ、感謝と敬意が込み上げてくるのである。 だから、矢野絢也は許せないのである。 この部分の理論と感情については、公明党茨城県議会・井手議員のHPに尽くされており、完全に同意する。 ��ご参照⇒ http://blog.hitachi-net.jp/archives/50234052.html ) そうしたことも含め、私は、先日の、公明党四国夏季議員研修会の報告からお話をさせて頂いた。 北側幹事長の獅子吼、を何としてもお伝えしたかったし、私たち議員の決意を、皆様にお届けしたかったのである。 熱心にメモをとってくださる皆様の姿にまた、感謝が込み上げる。 そして。 たっぷりすぎるほどのお時間を頂き、自身の1年あまりの議員活動について、ご報告させて頂いた。 生活現場主義を標榜し、ネットワーク政党を自認する、私たち公明党の価値についての、いわば、体験談であった。 はたして皆様には、どのように届いただろうか、と思う前に、 今日お届けしたかった思いはすべてお訴えできたか、と、自身に問う。 できました、拙いですけど。ならばよし、と心の中で自答した。 すっかり日の落ちた夏の夕暮れに、お1人お1人を、最後までお見送りしながら。 今日お集まり頂いた皆様の思いの代弁を、今後とも自身の責任として全うすることを、 あらためてお誓い申し上げるのみ、なのであった。 ��写真は、3日前に行われた議員研修会での、北側幹事長。)
文藝春秋8月号にて。 がん宣告「余命十九カ月」の記録、と題した、戸塚洋二氏と立花隆氏の対談記事、を読んだ。 が、 この時点で、戸塚氏は鬼籍の人となられており、発売直後の記事は、まさに彼の“遺稿”、なのであった。 痛惜を、禁じえなかった。 戸塚氏は、知る人ぞ知る、物理学者であり、ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊博士、の弟子であり。 1998年、師匠である小柴博士の後を継いだ戸塚氏は、奥飛騨「スーパーカミオンデ」で、ニュートリノの質量観測に成功する。 それは。 従来の物理学の前提を覆す、画期的な大発見と賞賛され、以来、ノーベル賞に最も近い物理学者、受賞は時間の問題、といわれてきた。 しかし、皮肉にも、時間の問題となったのは、自身の命の長さのほうだった。 戸塚氏は、記事の冒頭で、語られた。 �� 私のがんは残念ながら立花さんとちがって全身に転移して、 もう最終段階に来ています。でも、研究者という職業柄、 自分の病状を観察せずにはいられない。 今日は私の体験をもとにがん患者の方々に少しでも アドバイスになるお話ができたらと思います。」と。 サイエンスを極めた彼の生き様の、なんという、凄まじさ。 �� 私にとって、早い死といっても、 健常者と比べて十年から二十年の差ではないか。 みなと一緒だ、恐れるほどのことはない。」 葛藤を超克したその境地に、限りない敬意と感動を覚えた。 結果的に遺言となった、いくつかを紹介すると。 �� 患者にとっては、(がんと)なれ合ったって一向にかまわんのですよ。 闘うのではなく、もう少しゆるやかに余命を延ばす方法を研究してほしい。」 �� 医療界にお願いがあります。 がんのデータベースが是非必要だと思うんです。 骨への転移が見つかったとき、私が是非知りたいと思ったのは、 転移はさらに進行していくのか、転移した他の場所も痛くなっていくのか、 骨折の恐れがあるのか、といったことでした。 患者のこうした疑問に答えるデータベースがほしい。」 がん医療界に対する、最高峰の科学者の、最後の言はそのまま、政治に身を置くものとして、深く受けとめる義務と責任がある、のだ。 途中、こんなくだりがあった。 最近まで知らなかったのだが、死を前にした正岡子規が、こんなことを言っていると。 �� 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」 なるほど、平気な顔をして死ぬのもすごいことだが、どんな場合でも平気で生きているのはすごいことだ、と。 人間が生きることの意味を、かみしめずにはいられない。人間の、使命の重さと有難さを、感じずにはいられない。 最後までご自身の命と向き合い、サイエンスを全うされた戸塚氏のご冥福を、今一度、心よりお祈り申し上げたい。
早朝、県民相談が2つ。対応を講じながら、高知市内を移動する。 AM10:00。笹岡県議とともに、高知県庁へ到着。 同県のがん対策の取り組みについての視察、が、この日の目的であるが、 まずは、本会議開催中のご多忙にも関わらず、 ご対応を頂いた健康保健福祉部の皆様に、あらためて感謝を申し上げたい、と思う。 さて、わが党の推進により、2006年に、がん対策基本法が成立し、��ご参照↓ http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/02.html http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/12.html http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/18.html ) それを受ける形で、 都道府県にがん対策推進計画の策定が義務づけられたのだが、高知県も本県同様、昨年度内で、計画が策定されていた。 本県と異なるのは、同時に条例まで作られている点、だ。高知県がん対策推進条例、である。 そして、同条例は、 がん対策推進協議会を、同条例内に位置づけ、協議会中心に、県の計画を推し進めていく、 ということを規定している。 ちなみに。 その協議会の中には、医療従事者を含む関係者以外に、患者・家族・遺族の方々が、きちんと含まれている。 この意味は、大きい。本県も学ぶ必要がありそうだ。 そうした行政の前向きに引き上げられるように、高知県民の、がんに対する意識は、高い。 例えば、昨年12月に行われた、第1回高知県がんフォーラム。 県民の視点に立ったがん対策推進を目的に、がんの予防、治療、緩和ケア等の情報を、 多彩なゲストとプログラムにより、幅広く提供したイベントだが、700名を集め、盛況裏に終了したという。 患者、ご家族、医療関係者以外に、一般参加者が約3割を占めた点も、十分、驚きに値しよう。 さて、県庁でのレクを受けた後、 私たちは、がん相談センターこうち、の視察に移動した。��ご参照⇒ http://www.pref.kochi.jp/~kenkou/cancer/advice.html ) 特定非営利活動法人 高知がん患者会一喜会、の運営による同センターは、 県から委託された、がんに関する民間相談窓口、であり、 がん患者・ご家族の療養上の不安解消を図るとともに、がん診療連携拠点病院、関係団体等と連携し、 がん医療に関する情報を、広く県民に提供することを、その活動目的としている。 同センター長であり、一喜会会長の、安岡氏から話を伺った。 安岡会長は、自分の娘がスキルスがんになって初めて、わが国のがん治療体制が、患者本位でないことを痛感したという。 医師から、娘さんの余命は1年と見立てられた。治療法はないと言われ、医師はそこから先の希望を与えてはくれなかった。 ならば、娘を助けるために、自分が勉強するしかない、動くしかない、と、すがる思いで治療法を探し、専門家を訪ね、全国を駆けに駆けた、そうだ。 そうして、気づけば。 がん難民、といわれ同苦する方々が自分たち以外にも沢山いることを知り、その方々の灯台になろうと、今の活動につながった、という。 安岡会長の娘さんは、その間、お子さんを出産し、9年経っていた今も、元気に活躍されているそうだ。 これは、冤罪で死刑宣告をされたのと、どこが違うのか、との安岡会長の言葉が、今もなお耳から離れない。 医療サイドの改革と、患者サイドの満足度向上は、表裏の関係で、かつ、持ちつ持たれつの関係、と。 そして、それをブリッジさせるのは、議員の仕事、と明確なご指摘を頂き、衝撃的に、認識を改めさせられた。 その他にも、四国内連携の必要性をはじめ、数々のアイデアとサジェッションを頂いたが。 いかに現場に立つことが大事で、当事者の側に立つことが重要か、 あらためて教えて頂いた気がする。 本県のがん対策の前進に、必ずつなげていこう。 高知での視察を終えた、夕方。 夜、党員会が開催される久万高原町に向かいながら、強く、決意した。 ��写真は、悠然とそびえる、高知県議会初代議長・片岡健吉氏、の銅像。)