今日の公明新聞に、私の活動記事が掲載された。日頃、本ブログに綴る心情そのままに、記者の取材にお答えさせて頂いたものである。 それにしても。取材される側、つまり公にされるというのは本当にシビアなものである。当然だが、民間時代にはそんな場面に遭遇したことも、考えたこともなかった。どんな媒体にせよ、公となった発言は一人歩きをし、そしてまた、発言の責任はすべて自己に帰着するのだ。 特に、政治家の発言は重い。ゆえに、その問題発言はマスコミの格好の材料となる。掲載記事を読みながら、言行一致で初心を貫くことの厳しさを自覚し、決意を新たにする。(写真は5/28付公明新聞7面の掲載記事)
愛媛の西南端、愛南町を訪れる。汗ばむ初夏の日差しが、夕方からどんよりと黄砂に煙る。ぼんやりとした、オレンジ色の太陽。なんだか、南予の経済状況とだぶる。 その南予を代表するブランドといえば、柑橘・じゃこ天・真珠などが挙げられる。ふらり、真珠のおみやげ店に立ち寄る。ネックレス関連アイテムが多彩だ。さすが本場である。感じ入りながら、ショーケースを眺める。そして、買物客のつもりになって、店内を1周。正直、当惑した。 値札を見ると、下は1,000円から、上は数百万円まで。価格幅が、なんと数千倍である。多くの買物客は混乱するだろう。私も、何を買っていいか、混乱した。スーパーで売る1,000円の服と、百貨店で売る100万円の服が、同じ店内に並ぶということがあるだろうか?ハイエンド商品と普及品では、ターゲットも、売り方も、販路も、全く異なるのだから。おみやげ店というコンセプトで商売するなら、数百万円のアイテムに積極的な意味は見出せない。このお店には、時代にあったビジネスコンセプトの再構築が必要だろう。而して、南予の真珠業界全体にあてはまる課題ともいえそうだ。 愛南町で、例えば、私が気になるのは、武田農園さん(農業生産法人株式会社みかん職人武田屋)。河内晩柑を主力に、こだわりの柑橘を作り、通信販売で、全国のこだわりリッチ層に売る。ビジネスコンセプトが実に明快。売上も4年で3倍と急伸だ。規模はまだ小さいけれど、将来性は非常に大とみる。 地元を愛するこのような新しい力が、チャレンジ精神が、この地域にますます広がり、ビジネスセンスを磨いていく中にこそ、南予復興のカギがあるだろう。そのための啓発活動とサポートに、惜しみなく注力したい、と思う。(写真は御荘湾に浮かぶ牡蠣筏)
11:00。松山市森松町の重信川河川防災ステーションにて、松山市水防センターの竣工式に出席。国土交通省と松山市が2001年から整備を進めてきた本事業の総事業費は、約5億7000万円。 同施設のミッションは、重信川の水害などの災害時における南部地域の防災拠点となること、そして、平常時においては市民の防災・水防意識啓発向上の研修拠点となること、である。国民の生命と財産を守ることは、政治の最大のミッションである。県議としては、県レベルでの防災に常にアンテナを高くしておく必要性を、強く感じたひと時であった。 午後、久万高原町を訪問。あるご婦人から、痛切な要望を伺った。この町では今、建設・土木関連企業を取り巻く環境が深刻だ。農業も含めて、本当に待ったなしの厳しい状況である。特効薬は、ない。さあ、どうする、というこの場面。民も官もない。この町すべての智恵を総動員し、依存を捨てて、自ら助くるものに変わるときだ。 そんな気持ちを抱きながら、上黒岩考古館を訪ねた。12,000年前の遺跡を、係員の丁寧な説明を聞きながら見学。古代へのロマンを激しくかきたてられた。磨けば光る、この町の貴重な財産価値。一方、こちらの見学料、大人1人100円である。ちなみに私が訪れた16:00時点での本日の来館者は、2人。とても係員の人件費はまかなえないだろう。小さな赤字の累積。せっかくの財産価値も、これでは早晩運営が立ち行かなくなるのは自明だ。思わず、唸る。この町の苦しみと困難に、どこまでも寄り添って、解決の糸口を見出したいと思う。 ��写真は、重信川河川防災ステーション・松山市水防センター竣工式会場)
雨音で目覚める。石手川ダムの貯水率が80%を切り、心に“どよん”と水不足に対する不安が広がる中、久々の慈雨である。傘を差しながら、今日も市内を歩いた。お昼までに、背広は雨に濡れ、ずしりと重くなった。 午後、庁内折衝の後、お世話になった方々へのご挨拶のため、西条市へ移動。思いがけず、懐かしい友人に再会。約20年ぶりか。お互いの若き日に、とある人材グループで切磋琢磨した仲間である。人の不思議は、一瞬にして、当時にタイムスリップすることである。ひとしきり語らった後、それぞれの来し方と未来に思いを馳せた。感慨とともに、新たな決意が漲る。雨上がりの、西条でのみちみち。水を張った田んぼに目がとまる。車から降りて、近づいた。曇り空を水面に移したその中をのぞきこむと、いろんな生き物が賑やかだった。それぞれが一生懸命に、生きている。昔習った、食物連鎖と生態ピラミッドを思い出した。自然は、実に合理的にできている。 そして、すっかり帳の下りた帰り道。そのように営まれる大自然と環境を、決してなおざりにしてはならないぞ。蛙たちの大合唱が、窓を開けて車を運転する私に、そう訴えているような気がした。
今日も、市内を汗だくで歩く。様々なご意見を、真剣に伺う。 生活現場主義の実践だ。そして、継続は力。当選後、お会いしたその数は、今日で6,000名を超えた。出藍の誉れ宜しく、私の中でかけがいのないものが凝縮されていく。 お伺いするご意見の中には、政治と政治家に対するご批判も、当然含まれる。また、完全な不信と絶望を述べる方も、中にはおられる。 痛恨を感じる一方で、だからこそ、私は、足下を掘ることに徹したい。そこに泉あり、と思うからだ。岩盤にスコップの決意と、建設は死闘との勇気と覚悟で、1歩づつ。 昼下がり。市内を1歩入ると、そこは“せこ道”。狭く、くねった、抜け道だ。昭和の時代、全国のどの町にもあった、ごく当たり前の風景。網の目のように張り巡らされたその道は、1軒1軒を結ぶ私道であり、1人1人をつなぐ生活道であった。こんにちは。おかえり。そこにはいつも、生活の息づかいが感じられた。せこ道を歩きながら、あの遠い日が、頭の中でフラッシュバックした。心の中で呟いた。景色は変わる、風情は変わるな。日本も、日本人も、と。