ベリー・ハードな、1日。朝、県民相談をお受けしながら、バタバタと高松へ出発。 お昼、束の間ではあったが、古巣の広告会社へご挨拶に立ち寄る。居合わせたのは数人であったが、一様に驚かれたようで。 次回は、ゆっくりと。 と思うが、この間もなかなか時間が許さず、その日はいつになるだろう、と、後ろ髪を引かれながら、約10分で辞去する。 13:00、公明党香川県本部にて道路特定財源に関する勉強会が開催された。連日、報道のない日はない、今、国民が最も注目する政治課題、についてである。 国土交通省四国地方整備局・祢屋局長様ご一同様、各県当局関係各位には、大変お忙しい中をご参集頂き、レクチャを賜り心より御礼申し上げたい。 わが方も、山本ひろし参議院議員を中心に、各県所属議員が意欲的に集い合った。 そして。 そもそも道路特定財源は四国にとってどのような意味を持つのか、暫定税率を廃止すると具体的にどのような影響が出るのか、ということを学んだ。 約2時間の中身を、端的にいうなら。 四国の道路行政にとって特定財源は、必要条件であり、暫定税率廃止が各県民の皆様に与える影響は、確実にして多大なるしわ寄せ、となろう。 そして、この問題とは別に。原油高騰に対するあらゆる手立てを、早急に講じなければならない、ということになろう。 党も、私も、そのように考えるのだが、その立て分けを非常に難しくさせているのは、不信である。生活者が持つ、政治不信、である。 国が、あるいは行政が行なってきた、今までのムダや不正に対する生活者の疑念は、とてつもなく大きい。 現場を歩きながら、あるいは草の根対話を進める中で、心と肌で、感じる部分である。廃止できない理屈はわかるが、本当にムダはないのか、ということを多くの生活者は感じているのだ。 という思いを、私は質疑の中で訴えさせて頂いた。 本質の議論の前に横たわる、生活者の不信を。政治は、1枚1枚薄皮をはぐように、信頼に変えていかねばならない。 そのために公明党が果たすべきこと、私が果たすべきことを、常に問いながら、今回の問題も、それ以外の問題も、勇気を持って取り組んでまいりたい、と思う。 勉強会終了後、急ぎ足で松山へ移動。松山自動車道では、四国中央市あたりから雪が舞い始め、桜三里あたりでは吹雪となった。 通行止めになる一歩手前で、無事、松山到着。18:00からの会合に何とか間に合い、ホッとしながら。 多士済々のその会合は、またしても政治の奥深さを学ぶ、私にとっての勉強会となった。その後の、同期議員による会合もまた、大変考えるところ大、大いに学ばせて頂いたのである。 あっちでもこっちでも勉強、の1日は、22:00にて終了となった。 ��写真は、会合でご一緒させて頂いた、地元西予市出身、西前頭五枚目・玉春日関との記念撮影。)
今日は、日曜日。ということで、事務仕事に没頭した。 今週は、視察・行事などが多く、久しぶりのデスクワークである。賑やかな机上に、1週間といえどもじっとしていない、時の流れを感じる。 さて。 県外視察・行事などで忙しく、大事なことを綴り忘れていた。わが母校・今治西高校が、2年連続、春のセンバツ出場を決めたのである。 おめでとー!と、声を大にして。バンザーイ!と、さらに声を大にして。 選手諸君、越智校長先生はじめ学校関係各位・ご父兄各位・OB各位、そしてすべての関係者の皆様に、心からの祝福を申し上げたいと思う。 これで、4季連続、春夏通算20度目の甲子園出場となった。新たな歴史の通過点とはいえ、大きな大きな金字塔である。嬉しい。 早速、加戸知事からは、「本県の高校野球史に残る快挙、しまなみ旋風を!」と讃えられ、野本県教育長からは、「校歌を何度も、愛媛を元気に!」との祝福と期待が寄せられた。 が、私たちOBも、負けてはいない。 今年の正月に、久しぶりに同窓会で旧交を温めたばかりとあって、それぞれのブログがえらいことになっている。いや、盛り上がっている。 交流の輪が各地で、ヨコにもタテにも、いろんなカタチで広がっているようで、なんだかとっても嬉しいし、こちらのほうも、えーっと思う方々が、先輩だよん、とわかったりするなど最近は、なんだか嬉しい続きなのである。 というふうに。何だか嬉しい気分にさせてもらえるのも、母校のおかげである。 聞くところによると、今回出場される選手は甲子園2世が多いようだ。ずばり、お父様が甲子園を沸かせた、そのご子息たちである。 私の同級生の息子さんや甥っこさんもいたりして、想像しただけで、今から応援に力が入るのである。 その第80回センバツ高校野球の開幕は、3月22日。母校の、後輩たちの活躍を、全国のOBの皆様とともに心から祈りたい。 そして、私ごとで力が入るといえば、次の2月議会。自身、初の代表質問である。 新年行事による忙殺で残された期間は超タイトだが、母校で培った集中力で万全の準備を期してまいりたい。 この間、県民の皆様の手となって足となって動きながら、見て聞いて感じた、皆様の声と思いを全力で代弁してまいりたい、と思う。 ��写真は、1/3に開催された同窓会でのご挨拶風景。)
正午、市内のホテルにて、公明党愛媛県本部2008政経文化パーティが開催された。 地元から加戸知事をはじめ、国会議員、各地方議会議員及び首長ほか多数のご来臨を賜り、わが党本部からは、神崎武法常任顧問が石田衆院議員・山本参院議員とともに出席した。 立すいの余地もないほどの盛況に、ご参集各位への感謝の気持ちが込み上げてきた。 思えば、1年前。本パーティに、私は、統一地方選の予定候補として出席した。 連日のハードスケジュールに体がついていけず、高熱フラフラ状態で参加したことを思い出す。健康の自己管理が厳しく求められる政治家の過酷さを、まだ知らなかった。 が、朦朧としながらも、太田代表の入魂空前のスピーチだけは、今も鮮烈だ。ハッキリと、あの瞬間が、議員としての自身の原点なのである。��ご参照URL⇒ http://homare.i-yoblog.com/e19503.html ) 政治家は、何を言ったか、ではなく、何をやったか、が問われなければならない。政治家の生命線は、パフォーマンスにあるのではなく、成し遂げた事実と成果にのみあるのだ、と。 結果を出してこそ政治家、との圧巻のスピーチに、新たな使命に対する挑戦を、心に誓った。あれから、1年が経過したことになる。 私は、何を成し遂げたであろう、と考えると、なんとも覚束ないが、県民の皆様から頂く1つ1つの課題に、ともかく無我夢中で体当たりの1年であった。 あっという間のようで、実は、長い長い1年だったような気がする。 さて。 席上、神崎常任顧問から、ねじれ国会における公明党の実績を1つづつ紹介しながら、公明党が与野党合意形成のかなめ役となって、生活者直結の政治を必ず実現していく、との力強いスピーチがあった。 ここで、考えよ、である。 その、生活者直結、をどのようにカタチにしていくか。これは党としての問題であるとともに、極めて議員個々の問題でもあるのだ。 県民の皆様お1人お1人と直結するとは、どういうことなのか。何をどれだけ、皆様と地域社会に対する成果としてもたらすことができるのか。 その日々の具体化が、議員の仕事であることを忘れまい、と思った。 ほぼ終日にわたりパーティの準備・運営に当たりながら、生活者直結、の電話は後を立たない。たった電話1本だが、信じて託す思いの、勇気の1本、もある。 1年前も、今日も、そしてこれからも。 ある時は、生活者の辛みと苦しみを、胸をえぐられるように、またある時は、その前進と解決を、飛び上がらんばかりに。 常にわが事として敏感に感じられる自身に成長を、と思う。 ��写真は、万歳のご発声を頂く横田弘之愛媛県議会議長。)
午前、来年度予算要望の会派打合せ。午後、松前町の企業訪問を行なう。 そして夕方。山本ひろし参議院議員・雲峰松山市議に同行頂き、市内在住の広瀬さん宅をご訪問した。 先日、雲峰市議とともにご相談を伺ったのだが、その中身は、障害者スポーツの振興に関するご要望であった。 その本質を突いたお話に、私たちはひどく心を痛めながら、その抜本解決には国の力が必要だ、と即、山本ひろし参議院議員にお伝えし、機会があればぜひ同行訪問を、と要請していたところであった。 それから、たった6日。 国会開会中の間隙を縫って、1人の庶民のために駆けつける国会議員が、はたして何人いるだろう。山本さんは、さすがだな、といつも思う。 さて、その広瀬さん。悠(はるか)君という、目に障がいを持つ息子さんが、実は、日本を代表するアスリートなのである。 昨年は、全日本視覚障害者柔道大会男子100キロ級で見事優勝し、第3回IBSA世界選手権大会ブラジル2007男子100キロ級では5位入賞。 そして。 本年9月開催の北京パラリンピック日本代表に内定した、彼の栄誉と功績に対して、地元松山市からは、平成19年度かがやき松山大賞が贈られ、顕彰されたのである。 ご両親の喜びは如何ばかりであろう。悠君は、最高の親孝行者だ、と思う。 伺えば、彼は高校2年のとき、緑内障を患い、以来、右目の左半分と左目のほとんどの視野が失われているのだそうだ。 言葉にできない挫折を乗り越え、今に至る道のりの支えとなったのが、小学2年のときから続けてきた柔道だった、と彼はいう。 障がいというハンデを、スポーツによって乗り越えたのだ。 なるほどスポーツは、国籍も、老若男女も、年齢も、問わない。まさに、人間が作り出した、ユニバーサルな文化といえよう。 スポーツを通して障がいを乗り越え、夢と希望を実現する彼の生き方に感動するとともに、政治の力で、障がい者スポーツの普及と振興をリードしなければならない、と痛感した。 世界を雄飛する悠君の知見によると。 欧米では、障がい者スポーツのトップアスリートたちは、国家プロジェクト並みの待遇と育成環境が与えられているのだそうだ。 それに比して日本の現実は、というところを、ご両親からあらためてお伺いしたのだが、事実の持つ説得力に、山本ひろし参議院議員とともに真剣に受け止めさせて頂いた。 さあ、ここからが私たちの仕事である。 寒さ厳しい夕暮れに、いつまでも見送ってくださる広瀬さんご家族に対して。ネットワーク政党・公明党として。 国と県と市のそれぞれの立場において、また一体となって、障がい者スポーツの振興に取り組むことを、心に深く、決意した。 それにしても帰り際、悠君がんばれ!と握手した彼の手は、さすが100キロ級チャンピオン。実に、痛ゴツかったのである。 ��写真は、左から私、広瀬悠君、山本ひろし参議院議員、雲峰松山市議会議員。)
県外視察2日目の今日も、島根県。 桜江町の、農業生産法人(有)桜江町桑茶生産組合様と、邑南町(おおなんちょう)の、香木の森公園の2ヶ所を視察した。 桜江町は、もともと養蚕で栄えた町であった。それが1996年に養蚕業売上0円となり、地元産業として消滅したのである。 若者は、町を出た。残ったのは、広大な桑畑と高齢者。 そのどん底から、ドラマは始まった。残された者、また、この町を残すべき者として、これからどうやって食べていくか、皆で考えた。 結論は、桑、の活用であった。 なぜ桑は、この町に、何百年にもわたって、存在し続けたのか。それは、様々な角度から検証して、この地が桑の生育に最適だからであった。 町を流れる暴れ川、江川の氾濫にも屈せず、5年放っておいても成長を続ける桑の生命力。それを、健康食品ビジネス化することに成功したのである。 その努力は、2006年9月、国の「立ち上がる農山漁村」有識者会議にて、農林水産業を核とした地域の成功例として選出され、この町の進化の1つの通過点として報われたのである。��ご参照URL⇒ http://www.kuwakuwa.tv/column/2006_10.html ) 次の邑南町・香木の森公園では、文字通りというしかない、吹雪の中、そして大変お忙しい中を、石橋町長様ご本人自らのご同行とレクチャを賜った。 この町も、過去、急激な人口減少と高齢化の危機に瀕したのであるが、同公園を観光資源とした取組みにより、今、着実に元気を取り戻しつつあるのであった。 そのハーブを活用した各種施設もさることながら、私は「園芸福祉研修」という取組みに目を瞠(みは)った。�� http://www.town.ohnan.lg.jp/SiteM/kik2info.nsf/799d23c85d2c4a4b49256afd004c1459/6a734dff9c69276a4925734f001a2c82?OpenDocument ) この取組みの主眼は、交流人口と定住人口の拡大にある。少子高齢化に真っ向勝負、直球ストレート戦略である。 ターゲットは、剛速球のど真ん中。園芸もしくは福祉に関心のある、全国の独身女性、のみである。 事前選考をパスした定員に対して、1年間、同町に住み、同公園にて働いて頂く。もちろん各種助成あり、報酬あり、である。 その1年間の中で、育苗の基礎から管理・販売、園芸の福祉活用等を学んで頂くのである。 人間、1年もそこに暮らせば、愛着もわくし、人間関係も自ずと広がるものだ。結局、定員の内の何名かは、研修終了後、同町に移住されるのである。 同研修制度導入から現在まで14年。この間、全国各地から101人を受け入れ、23人がこの町に定住した。 その内、16人がこの町で結婚し、25名の子どもたちが生まれた。48名の、人口増である。 そればかりではない。 研修終了後、各地に戻ったOBたちの口コミによって同町の魅力は流布され、OBたちはまた、観光客となってこの町のリピーターになるのである。 各種の施策が相乗効果となって、香木の森公園の入場者数は、開設当時の年間1万人から、現在は20万人超へと拡大。 その努力は、日本クリエイション大賞2006地域活性化賞受賞により、結実した。 同公園にて、ザクッ、ザクッと、深いぬかるみのような雪を踏みしめながら。 人間の知恵には行きづまりがないな、おらが町に対する愛と苦悩の果てに、必ず光明は見出せる、ということを確信した。 吹雪の中国山脈を越え、松山観光港に無事到着し、ほっとしながら。 島根県での2日間の視察を、わが愛媛の地域活性化につなげること。それが、特別委員会に求められる成果であり、私の重要な仕事なのだと、あらためて決意した。 足元の、愛媛の陸地が、愛おしく思えた。 ��写真は、バケツをひっくり返したような雪の、香木の森公園。)