3連休明け。朝の通勤ラッシュアワー、の56号線。 世の中が、今週も動き出したな、そんなことを感じながら、私は、車検のため、ディーラーへ向かっていた。 高松時代から7年間、毎日、お世話になっているマイカーを、まだまだ働いてもらうけん、いってらっしゃい、と心で言って送り出した。 そのあと代車を借りて、近くの支持者宅をご訪問し、近況をお伺いした。息子さんが今春、晴れてご就職が決まったとのこと。 うわぁ~、よかったですねー、とひとしきり喜び合いながら、それでもね、と、お母さん。初めて親元を離れて暮らす息子さんのことが、とっても気になるご様子なのであった。 母の愛は深いな、と微笑ましく感じながら、大丈夫、心配いりませんよ、と、自身のことを振り返り、ダブらせながら、渾身のお励ましをさせて頂いた。 私も在籍したクリエイティブな世界に羽ばたく、息子さんのご活躍を、心から祈りたい。 さて、その後、企業をいくつか訪問して、議事堂に向かう。来る2月議会の代表質問の会派打ち合わせであった。 先日までに私がまとめた目一杯たくさんの項目骨子の中から、方向性を決め、優先順位をつけながら、大幅に絞り込んでいったのであった。 さあ、ここからは一気に原稿を書き上げるのみ、と、少し安堵した矢先。廊下で、いつも元気いっぱいの、社民・護憲連合の石川議員とすれ違う。 石川議員もまた、今回、会派代表質問をされると伺っていたので、つい、調子はいかがですか、とお声をかけたのだが、意に反して、できたよ、と。 早やっ。 おかげさまで、それまでの安堵が一気に吹き飛んだのであって。 私は思わず、さすが石川さん、段取りがいいですねー、と、お世辞抜きで言ったのだが。 大丈夫ですよ、木村さんなら、と石川さん。明らかに、お世辞が入っていた。 今週、このあと目一杯のスケジュールなのに、と私は、すっかり不安に陥ってしまったのであった。 どげんかせんといかん。 その後、理事者打合せ、党務、支援団体打合せ、目一杯の1日。深夜、帰宅後、ねじり鉢巻で書きまくるぞ、と思うほどに、焦りまくり。 午前3時。 5割がた仕上げて、あとは、寝るのも戦い、と就寝することにした。もう少ししたら、朝からフル回転、なのである。 ��撮るものがなく、お気に入りのペン立てと、耳かき1つ。)
1週間ぶりの、西予市・県歴史文化博物館。 小高い丘に威容を誇る、その1室で開催された、党議員総会出席のためであった。 今後の活動について、団結の打ち合わせをみっちりと3時間。ハードな内容に、思わず心が引き締まる。 また、国会開会中にも関わらず、山本ひろし参議院議員も駆けつけられ、最近の国政動向について、舞台裏も含め、多岐にわたる報告があった。 ブログに綴るには何かと制約もあり、今日の所感を1つだけ述べるなら。 公明党の、他にはない独自の強みは何か、ということである。 精神論は、ここでは触れず、現実論として。その強みは、ネットワーク、だ。 国と地方を合わせて3,095名の議員が、本当にフラットで、かつ、しっかりと、つながっているのである。 それは、地方でお受けした切実な要望が、たった1ヵ月で、国を動かす力になりうるのである。 かつて。 神奈川県のある産科院長からの子宮頸がん対策に関する提案を、公明党地元市議がお受けした。市議は、頑なであった市を粘り強く説得し、実現し、その院長から大きな信頼を頂くこととなった。 そして今回。 ある大学准教授から提案された子宮頸がんの予防に効果的なワクチンの早期承認について、院長は市議に相談。それは、市議から松あきら参院議員、浜四津敏子代表代行につながれ、参院予算委員会につなげられたのである。 この間、わずか1カ月足らず。 その参院予算委員会の質問で、浜四津代表代行は、舛添要一厚労相から。 がん検診全体への啓発・啓蒙活動の約束と、新薬の承認期間を約4年程度から、1.5年以内に短縮し、予防ワクチンの承認に全力を挙げる、との答弁を引き出したのである。 医師は、その対応の的確さとスピードに驚き、感動した。そのエピソードを聞いた私たちもまた、感動した。 思えば、私たち四国の公明党地方議員も、山本ひろし参院議員との連携で、障害者の働く場への発注促進税制を、来年度予算において実現させて頂いたのである。 この、ネットワーク政党の強みを、1人でも多くの県民の皆様にお役立てさせて頂くために。 私もまた、本日より生活者のもとへ、生活現場へと、飛び込んでまいりたい。そんな決意に奮い立つ、本日の議員総会であった。 ��写真は、国政報告を行なう、山本ひろし参院議員。)
懐かしい大学時代の親友から、電話あり。転勤が決まった、という。 6回め?7回め?もうこれで何回目だろう。転勤族とはいえ、ご家族にとってはさぞ大変であるに違いない。 そんな切り出しから、ずいぶん、長話となったのである。 大学時代、私たちは軽音楽部に所属し、彼が部長、私が副部長というコンビで、私からいうと、おそらく、もっとも多くの時間を共有したのが彼、なのであった。 おそらくついでに言うと、巧妙な隠しごとは、お互いバレバレ、なのである。 そんな彼は、熊本出身の、文字通り、あるいは絵に描いたような、肥後もっこす。 浪人しているから、実際は私より1つ年上。入学当初は、その微妙な距離感がつかめず困ったことを憶えている。 1番の思い出も、2番目の思い出も、はっきりとあるのだが、とても公開できるようなレベルではないので、ひっそりとしまっておくが。 3番目の思い出は、夏休みに、伯方島の私の家に遊びに来たときのことである。彼は、私の母親となぜか会話が弾み、そして、私に、言うのであった。 女の細腕で大学に通わせてくれる母親を大事にせなアカンぞ、と。 彼は、大体からしてこの手の教えを説きがちなキャラではあったのだが、このときだけは、妙に、せやなぁ、と腑に落ちたのであった。 当時、ご両親が健在だった彼からすれば、私のところのような母子家庭、というのは、それはそれで、考えさせられるところがあったのだろう。 ちなみに私の母は、その当時のことがずっと印象にあって、��さんは素晴らしい、というイメージが完璧にインプットされているのである。 大学を卒業してからも、東京で、大阪で、兵庫で。機会があるたびに、彼とは旧交を温めてきた。 それぞれ、いろんなことがあったなー、お互いどん底も多かったなー、と思う。 一番、最近会ったのは、昨年、私が出馬した統一地方選のときである。彼は、忙しい中、わざわざ福岡から、選挙事務所まで駆けつけてくれたのであった。 つかの間の会話の後。遊説カーに乗り込み、マイクを握り、手を振る私を見送りながら、それ以来ご無沙汰している。 後日、先輩議員が教えてくれた。遊説カーの私を見送りながら、彼は、男泣きに泣いていた、と。 そして、先輩議員は、こう続けられた。木村さんは、いい友人を持ちましたね、と。 その話に、私もまた、涙したのである。思い出しても、有難い、のである。 長電話のはざ間で、ふと、そんなことを思い出しながら。 世知辛い世の中にあって、本当は、こうした、有難さ、がいっぱいあることを。誰もが信じられる社会に変えていくのは政治の仕事なのだ、と思わず、力が入った。 とはいえ、当時と変わらぬ私たちの、軽口でタメ口調の長電話にあっては。 この辺のビミョーな心のひだは、そばにいた家内でさえ、微塵も気づけなかったであろう。 ともあれ、お互いにエール、な1日であった。 ��写真は、大学3年時の、左が私、右が彼。)
世間では、今日から3連休。だが、私にとっては実に貴重な、仕事の時間なのであって。 それは、2月議会での会派代表質問準備のため、の時間。 連休3日間の内、2日間だけ、スケジュールがキープできたのである。とはいえ、私にとって、代表質問は初めてだ。 頭の中にはその輪郭すら、まだ、ない。一般質問とは角度が違う、というが、その角度がどれくらいなのか、わからない。 ないないだらけの中で、締め切りだけがジワーっと、近づいてくるのである。 来週は日程が詰まっているし、県外出張もあるし、この2日間である程度、カタチにしなくてはならないのだ。 と、思うと、昨日あたりから真剣に焦ってきたのであった。 で、今日は、朝からデスクワーク。今まで、ストックしてきた各種の資料を積み上げて、片っ端から読み込むことにした。 こういう場合、目を通しながら、わからないことをネットや書籍で調べていると、いつの間にか、ユー・チューブや読書三昧にはまったりしがち、なのである。 今日は、そこのところを十分戒めながら。気になる情報を片っ端からメモしながら、とにかくひと通り読み込んだ。 途中、家内の、計画的子守り代行も引き受けながら。サービスで、洗濯物まで取り込みながら。 1日かけて。 たくさんできたメモを、カテゴリーごとに、プライオリティをつけながら整理していくと。なんとなく、風呂敷を広げた状態には、なった。 さあ、ここから、と時間を見ると、もう午前様になっていた。と思うと、なんだか頭の中のスイッチも切れたようで。 貴重な時間は、あと1日。なんとしても骨子までは仕上げたい、と思うと、また焦るのであった。 ��写真は、うず高く積み上げてみた、本日の資料)
県は、いったい何を考えてるのか?あるご婦人より、手厳しいお叱りを受ける。 それは。 県の心身障害者扶養共済制度、における掛金補助を、来年度から段階的に縮小するとともに、4年後には廃止し全額自己負担とする、という見直し案についてであった。 ��ご参照URL⇒ http://www.pref.ehime.jp/h20700/1187110_1958.html ) この制度は。 心身障害者を扶養する保護者が、生存中、毎月、掛金を納め、その死亡時などに、障害者に対して終身年金が支給される、という任意加入の共済制度である。 昭和45年に導入され、実施主体は都道府県及び政令市、厚労省の指導監督のもと、独立行政法人福祉医療機構が運営を担っている。 ちなみに現在、加入者に対し掛金補助を行なっているのは、わが県を含めて5府県・市。その他の都道府県では、制度自体がない、もしくは100%自己負担、である。 つまり、これまで、愛媛県は、心身障害者にとって非常に理解のある前向きな取り組みを行なってきたといえよう。 それが、今回、見直されるという。地元紙でも既報の通りだが、その理由は、県の財政難、ということだ。 もはや、いつでもどこでも出てくる、財政難により、というフレーズ。感覚が麻痺しそうなくらい繰り返される中で、決して麻痺してはならない。 ご婦人の指摘はそこにある、そんな気がした。痛恨であった。 県の説明によると、今回の見直しは、国の見直しに端を発するという。 国の見直し理由は。 経済情勢の変化等による運用利回りの低下や、障害者の平均寿命の伸長などにより、将来の年金の支払いを確実に行なえない恐れが生じてきた、というものである。 一方、県の見直し理由は。 国の見直しにより掛金が値上がりするため、今年度で約4.1億円の県費負担が、来年度は約4.6億円に膨らみ、これ以上の手厚い補助継続は困難、というものである。 そして、見直しの対象となるのは、一般加入世帯2,709名で加入者全体の約8割。市町民税非課税世帯と生活保護世帯は対象外で、現在の補助率が据え置かれる。 ということだが、さて。要するに、国も県も、やむを得ず、ということだ。 が。 はたして、そうだろうか。本当にやむを得ないのだろうか。 財政難という現実は現実として。 一方の現実である、当事者の立場に立った心の敏感力と、可能な限りの可能性を見出すことに汗をかく真剣一途を。 行政も、私も。はたして本当に、体現できているだろうか。 それが、言葉には出されないが、急所をつくご婦人のご指摘であろう。心に鋭く、深く、突き刺さるとともに、自身への挑戦を強く決意する1日となった。 ��写真は、一昨日見た、夕暮れの内子町。)