午後、党議員総会。 その中にも当然出てくるのだが、今日は、後期高齢者医療制度について触れてみたい。 テレビでも、新聞でも、取り上げない日はないくらい、国民が今、もっとも気になる話題といってよいだろう。 私自身、この間、どのくらいの方からご意見を承っただろう。そのほとんどが、怒り、であった。 そこには、当然ながら、不満と不信が含まれるが、そうした皆様に接して、私たち議員には説明責任がある。 国のことだからといって、お茶をにごすわけにはいかない。 その怒りを真正面から受けとめながら、私が肌身で感じるのは、まず、一番大事なことは何か、ということだ。 それは、目の前の、例えば、78歳の○○さんのお気持ちである。 松山市であれ、札幌市であれ、そこに厳然と生活を営んでいる、生身のお1人の、お気持ちである。 当たり前だが、この一番大事な大前提が、政府も官僚も、まだまだわかっていない、と思えてならない。 今回の新制度は、どう考えても、高齢者の方々へのお願い、であるからだ。 800兆円を超える借金を抱え、急速な少子高齢化が進展する中で、国民皆保険による医療制度の安定と持続を展望したとき、 全体としては、高齢者の方々にも一定のご負担を頂かざるを得ない、ということへの、ご理解とご協力の、お願いである。 現役世代の負担増はもちろん覚悟の上の話だが、そこにも限界があり、また、これ以上、孫・子の時代に借金を押しつけるわけにもいかない。 という状況のなかでの、止むを得ないお願いである以上、お願いのしかたがある、と思うのだ。 それには、誠意と真心の対話、以外ない。 もちろん、総じて今より保険料が安くなるという試算や。 低所得世帯を始め、経済的・身体的・社会的に大変な方々に対して、二重三重のセーフティネットが盛り込まれていることや、その他にも。 ご理解を頂くために、配慮させて頂いた制度設計の側面について、1人の公明党議員としてもっともっとお訴えしなければ、と思う。 と、思うほどに。私が肌身で感じるのは。 言い換えると、今、国全体を覆う空気は、対話拒否。そんな気がしてならない。 そんな中で、今、自身ができることは何か。なすべきは、何か。 やはり、誠意と真心の対話、しかない。 苦しいほどに、議員という仕事の重さを痛感するけれど。 目の前の、庶民である、お1人お1人のお気持ちを、わが気持ちとして、しっかり国へつないでいくことに徹してまいりたい、と思う。 そして、全国から集まったそうしたお声は、必ず国を動かせるし、制度をよりよいものへと動かせるし、皆様の心を不安から安心に動かすことができる、そう信じて。 お1人のお気持ちを、希望に、未来に、つないでまいりたい、と思う。 ��写真は、シラゼー・ハウシャリー&ピップ・ホーン作「ブルーム」at東京ミッドタウン。)
午後・夜にかけて、県民相談・党務・支援団体打ち合わせ等。 今日は、日経グローカルNo.97(2008.4.7)から。自治体維新、という首長インタビューである。 登場されたのは、山形県の斎藤弘知事。 思わず、全国の知事を何名知っているだろう、と考えてみた。47のうち、確実に半分以上知らない中で、確実に1名、記憶が増えた格好だ。 記事を拝見すると。民間国際畑を歩んで来られただけあって、着眼も行動もフレキシブルだな、と思う。 なにしろ、全国で一番記者会見の回数の多い知事、である。ご本人の自負だが、その通りであろう、毎日記者会見なのだから。 情報発信の重要性に着眼されてのことではあるが、きっかけは、素朴である。 知事のお子さんが、テレビに映った当時の小泉首相を見て、��あ、小泉さんだ」と認識するのをみて、なるほど、と。 1日に2回記者会見を行い、毎日ニュースに流れる総理のほうが、地元の知事より、はるかに身近で確かな存在だという、事実。 要は、頻度の問題。情報発信の前の、認知の問題。 同じメッセージであっても、発信するのが知っている人と知らない人では、理解も共感も度合いが違ったものになることは、私たちの経験則だ。 斎藤知事による毎日会見の導入は、今や定着し、直接お伝えするという情報発信スタイルがすっかり定番になったそうだ。 そんな知事の就任当初。 県庁刷新を掲げ改革に取り組もうとする際、最も痛感したのは、職員の発想の転換、だったという。 それは、コスト意識と、時間軸と、自律の3点。 私なりに解釈すると、成果と、優先順位と、ミッションということになるが、つまりは、経営という概念である。 就任3年が経過する中、個々人においては発想の転換、全庁においては財政再建、を基本としながらの、粘り強い取組み。 その成果の1つとして。 東北6県と新潟という大きな生活圏域の中で、各県が、それぞれの強みを特化し分担しながら発展していこうとする取組み事例の紹介は、わが愛媛・四国にとっても格好の参考材料だ。 また、斎藤知事のいわれる、夢3倍の法則、も興味深い。 人が、痛みを感受して自ら自律的に動き出すためには、痛みの3倍の夢が実現できる、と本人がわかってはじめて動き出すのだそうだ、と。 思わず、出典を知りたくなるが、いずれにしても。痛みと悲観に陥りがちな今、だからこそ夢が大事なのだろう。 それは、ないものねだりではなく、あるもの探しから始めよう、と知事はいう。そして、最終的に。 その夢は、有形も無形も含めて、山形らしさに他ならないのだ、と。まさに、改革の合言葉、と思う。 こういう発想と取組みが、多くの県と圏域において、澎湃と湧き起こっていく中で、道州制も、真の地方分権も、ふさわしいカタチが見えてくるような気がした。 結果的に、国の変化が一番あとでした、とならないように。最も、サイズ的に小回りの利く四国が、改革の先頭を切れるように。 愛媛でがんばるぞ、と思う。
午後・夜と、政務。につき、今日は、この1冊。 ��ゴールデンスランバー」。伊坂幸太郎著、について。 ちなみに、2008年の本屋大賞受賞作。 本を読む目の肥えた、全国の書店員さんが選んだ、今、一番売りたい本、である。 で、ふ~ん、と読んでみたのだが、お見事。料理にたとえると、これがまた、メチャウマなのであった。 一気に、引きずり込まれた。そして、あっという間に読了。 伊坂ファンに対しては当たり前かもしれないが、初めて伊坂ワールドを体験する私にとっては、最高の想定外。そんな賛辞を送りたいと思う。 プロットのベースにあるのは、J.F.ケネディの暗殺事件だが、その真相が今もって謎、というところに着眼し構築したストーリー。 ある日、突然、首相暗殺という、濡れ衣を着せられた主人公。 緻密に、周到に準備された、権力による巨大な陰謀に1人立ち向かうが、もとより戦える相手ではない。だから、逃げる、逃げまくる、逃げ切れるか、 というのが、物語の流れである。 小説だから、所詮、つくり話なのだが、ひょっとしてありうるかも、と思わせるところが、 時代の空気を見事に読みきった、というか切り取った、筆者のセンスであり筆力、であろう。 最後の、「たいへんよくできました」のハンコのくだり。 直球勝負というのは、こういうことだろうし、手元で伸びてくる直球は美しく、心の奥まで届いた気がした。 それにしても、井坂氏。私より7つくらい年下ということは、団塊ジュニア世代、である。 ふと、広告会社勤務時代、団塊ジュニアをターゲットとした、新車発売の立ち上がりキャンペーンに携わったことを思い出したが、 何のことはない。今ではすっかり、私の方が、団塊ジュニアの顧客なのであった。 逆転。もしくは、新時代。 政治の世界にもそれは必要だし、およそ人ごとでもないぞ。小説の世界とは関係のないところで、そんな刺激を受けた1冊であった。
昨日来、何人かの方から節目に際しての、お励ましを頂く。 感謝をもって、行動に変えてまいりたい、と心新たに決意する。 さて、本日は、出ずっぱりの1週間で未着手の政務に終始。 ということで、読書ネタを1つ。 ��さらば 財務省!」、という本。著者は、旧大蔵省出身の髙橋洋一氏である。 髙橋氏は、小泉・安倍改革に、官僚の立場で携わった方で、同著の時代描写は、そのときのものが中心となっている。 で、サブタイトルは、官僚すべてを敵にした男の告白、と刺激的でもあり。 そういえば、この手の出版物は、最近やたら多い気がする。元外交官や元検事、元弁護士や元社保庁職員など等。 それだけ見ると、ストレートな内部告発だし、暴露的で、個人的にはどうもちょっと、と思っていた。 実際、内部告発モノは、意趣返しの読後感が強く、私の場合、ハズレであることが多かった。 が、今回は、そうした怨嗟をほとんど感じることなく、むしろ大変勉強になったという意味で、アタリだった。 むろん、すべてを真に受けるわけにもいかないが、 安倍総理辞任の真相には、そういうことがあったんだ、とか、 あるともいい、ないともいわれる埋蔵金の構造は、そういうことだったんだ、とか、 政治家VS官僚、財政タカ派VS上げ潮派、小さな政府軍VS大きな政府軍、というVSは、衆参のねじれより、はるかに根源的で重要な問題をはらんでいるんだ、とか。 とにかく。 当事者ならではの説得力ということに違いなく、考えてみると。地方の私たちにとって、霞ヶ関や永田町の実際のところは、知る由もない。 また、彼らの不都合は決して報道されないし、報道されても実に巧妙という他なく。 そのことを前提とした範囲でのみ、私たちは知ることが可能となる。という当たり前、換言すると、疑い。 それを、常に意識した上で、個々の政治課題の本質に迫らないと、根源的なものへのアプローチはできないな、と唸らされた。 そのアプローチとは、政治改革、にほかならない。関係者を問わず、ぜひ皆様にご一読をおススメするとともに。 庶民に光をあてた、県民満足度日本一の愛媛、をめざす自身にあてはめると、もっともっと知見を蓄えねば、と思うのみである。
今日は、1年前の、今日のことを書かねばならない、と思う。 その日は、統一地方選の投開票日であり、私にとって、自身が果たすべき、大きな使命と責任が確定した日、である。 その瞬間、頭の中は真っ白で、体力はからっぽで。 大歓声に包まれながら、大恩ある支持者の皆様を前に、私は。 ただ、心の底から湧き上がる一念だけで、立っていた。 “名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。” それしかなかった。誰かに勝ろうとか周りがどうとか、そんなことは関係なかった。 ご支援くださったすべての皆様と、わが人生の師への、誓い。そのことを果たす意思があるのかどうか、本当に果たせるのかどうか。 それしかなかった。 あまりにも過分で、あまりにも多くの皆様から頂いたご期待、である。 未熟も、若輩も、不器用も。もはや言い訳のできない世界に、足を踏み入れたことを、覚悟した。 おそらく、今日からは。 政治を、泣きながら覚え、耐えながら学び、這いずり回りながら掴む、そういう日々の連続に違いないことを、重々、承知した。 あれから、1年が経った。というより、気づいたら、1年が経っていた。 振り返ると。 やはり、覚悟した通り、承知した通り、ではあったけれど、味わった感動は、辛いことを全部かき集めたよりも何倍もの大きさ、だった。 承った県民相談は、400を超えた。どれだけのお喜びの笑顔に励まされたことだろう。 議員バッジを頂いた日から1日も欠かさず綴った、弊ブログへのアクセスは、40,000を超えた。 ��Cの向こう側の皆様方に、とっても青臭いかもしれないが、毎日、決意を認めてきた。 その決意を固めさせ、初心を持続させてくださったのは、まさにPCの向こう側の皆様方に他ならない。 大小、遠近、様々な会合で、皆様からどれだけ勇気を頂いただろう。 県下各地の遊説で、立ち止まり、お手を振ってのご声援に、何度、涙をこらえただろう。 たくさんのお心こもるハガキとお手紙は、今なお、宝物のように大切にしまっている。 行き詰まりそうになったとき、百万馬力の力を頂けるからだ。 辛いことを大きく上回る、私が味わった感動は、詰まるところ、皆様への感謝である。 有難い、有難い、と、いつでもどこでも、常に感じ続けた、そんな1年であった。 今日から、2年目となるが、決意は変えないし、変わらない。 “名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。” あの日の誓いのままに、いつも感謝を忘れず、精進してまいりたい、と思う。 ��写真:今年も、見事にサクラサク。桜の営みは変わらない。去年も、きっと来年も。)