快晴の、早朝。小鳥のさえずりをBGMに、久万高原町に向かう。 9:00、地元党員の皆様とともに、街頭遊説に出発。広大な地域を元気いっぱい、回らせて頂いた。 あまりの陽気に、Yシャツも汗ばむ。まだ午前というのに。 さて。本日は、2点、お訴えさせて頂いた。 私からは、いわゆる道路問題の、一連の経緯と浮かび上がった課題について。 党員の皆様からは、長寿医療制度について。 分担しながら、それぞれに対する公明党の取り組みを、お話をさせて頂いた。 目の前には、水を張って広がる田園。しかも今日は、絶好の田植え日和とあって。 お手を振ってくださる方がいつも以上に多く感じられ、大変有難く、心強かった。 お昼過ぎまで回りに回った後、1軒の支持者宅を訪ねた。伺えば、最近の政治に怒りを覚えてならない、とのこと。 お訪ねすると、ご夫婦は、ちょうど田植えの真っ最中であった。 私は畦道を進みながら、お久しぶりです、と、まずはご主人と対話を進めさせて頂いた。 次いで、奥様と。ゆっくりと、じっくりと。 長寿医療保険は、国保に加えて負担するものと思っていた、との誤解が1つ解けたし、 ご自身の保険料を知らない、ということに関しては、お話を伺った範囲では下がっている可能性が高いです、まずはご確認をと、ご案内させて頂くこともできた。 そういう意味では、新制度の説明不足をあらためて実感するのだが、 庶民の本音は、もう一重深いところにあることも、同時に痛感するのである。 もう一重深い、その根っこにある本音は、政治不信。もはや言うまでもない、現在究極の政治課題、だ。 ご夫妻の怒りは。 そこにもっと斬り込んでほしい、との期待の裏返しであり。かえって私のほうが、大いに励まされるのであった。 久万高原町の遊説を終え、市内に戻ると、夜は、支持者座談会に駆けつけさせて頂いた。 昨日も今日も、昼も夜も、お会いして、お会いして、対話の毎日。 それは、私にとって。 必ず、この皆様の声で国を動かせてみせる、との闘志が沸々とたぎる、前傾姿勢の毎日闘争である。 ��写真は、党員の皆様との遊説風景。 本日も大変お世話になり、ありがとうございました。)
夜、支持者座談会に伺う。 週末のお忙しい中を、今日もたくさんの方がお集まりくださった。 連日、似たような、とお感じになられるかもしれないが、明日も続くゆえ、予めお許し頂きたく。 今日は、事前のご要望により、長寿医療制度に関する公明党の考え方と取り組みについて約30分、ということであった。 私は、本ブログで何度も綴ってきたことに加え、今後の改善の見通しを交えたお話をさせて頂いた。 当たり前だが、どの皆様の目も、真剣だ。生活に直結した、自分ごとだから、である。 1mgの重さは体重計では量れない、とすれば。 生活者にとっての1000円の負担の重さを感じるために、政治家には常に、この、自分ごと、というセンサーが必要だ。 質疑では、いつも様々なご指摘を頂くが、今日、私の心に突き刺さったのは、次の叫びである。 “まだ、大本営のように感じる。本当に、私たちが信じられる公明党であってほしい。” 柔和な口調にして、魂を揺さぶられるような、痛烈。支持者の思いを代弁する叫びであるに、違いない。 自身の非力と限界を感じながらも、今、私にできることは、皆様の叫びを、心に刻んで刻んで刻みつけておくことだ。 対話の始終、私の中にあったのは、その思いだけであった。 終了後。 有志から、個別のご要望をお受けしたり、激励を頂きながら、気づくと、座談会第二部の様相を呈しており。 会場にご迷惑にならないよう散会を急ぎながらも、 “ゆっくり話ができて良かった”、“話したらスッキリしたわ”、 とのひと言ひと言が心に染みて、救われる思いがするのであった。 どこまでも政治は、対話に始まり対話に終わる、いや、対話に終わりなし、ということを忘れまい、と思う。 ��写真は、ただ今、田植えシーズン真っ盛り、の久万高原町。)
不覚にも、風邪を引いたか。子どものが移ったか。 朝、起きると、かすれ声しか出ない。結局、病院にて注射と点滴を打ってもらい、静養。 と、思いきや週末の会合を思い出し、バタバタと資料作成に励む。 そして、夜。市内の支持者座談会に駆けつけた。 それは、私にとっては、連日だったり毎月だったりだが、皆様からすると、当選後初めて、というケースが殆どだ。 したがって、いつも。 話の切り出しは、ご無沙汰のお詫びから始まるのだが、おかげさまで、どちらの会場でも歓迎を頂き。 支持者の皆様ほど有難いものはない、ということを、毎回実感するのである。 今日もまた。会場は大変明るく温かく、家族のように和やかで。 そういう空気に包まれながら、現在までの、わが党と私自身の取り組みのご報告を行なった。 約30分。 真剣に耳を傾けてくださる、その真心を有難く感じるし、ご期待をお寄せくださる皆様に心から感謝申し上げたい、と思う。 さて、その終了後のこと。 座談会に久々に参加したという壮年の方から、お声がけを頂いた。 “話聴きよったけど、あんた、腰が低いわい。それ、忘れんことよ。1年生やけど、期待しとるで。”と。 もう、 ありがとうございます、絶対に忘れません、である。もし忘れそうになったら遠慮なくお叱りください、なのである。 照れくさそうなその壮年の方に、感謝を述べながら。久しぶりに再会した皆様お1人お1人をお見送りしながら。 有難い皆様のご期待にお応えできるよう、1年生として謙虚に、一方では貪欲に研鑽を積み、 自身の行動と成果に代えてまいりたい、と、今日も、深く、決意させて頂いた。 風邪を引いてる場合では、ない。 ��写真は、昨年2月のご挨拶の1コマ。初心忘るべからずだ。)
終日、政務。県民相談の進捗、多々あり。 夕方、夜までの時間を縫って、県美術館に足を運び、催事の内、「人体の不思議展」を鑑賞することにした。 感想の前に。 どんなイベントであれ。参加して私がまずチェックするのは、お客様、である。 どんな方が、誰と、どんな理由で、どこから・・・。と、勝手ながら、いろいろ推測をするのである。 というより、してしまう、これは広告業界ならではの反射神経であろう。 今回、まず、気づいたのは、全体的な空気の若さである。 2、3人単位の女子中高生と、20代の若いカップルが、やけに目につく。 これは、夕方という時間帯によるものか、特有の口コミによるものか。それとも、純粋な好奇心か、怖いもの見たさか。 また、小学生のお子様連れのご家族が多い印象も受けた。 そのパパ・ママたちもきっと30代だろう、という若さなのだが、こちらは教育の一環で、ということに違いない。 何しろ展示内容は、すべて本物の人体、なのだから。 さて、鑑賞後。私の脳裏に浮かんだものは、生命に対する畏敬、であった。 人体は、精緻にして完璧な調和、というしかなく。人間とは、奇跡、と思った。 そして、生命に対して荒んだ、感度に暗い時代にあって。 奇跡に対する感動や、畏敬の念といった、人間にとって普遍の価値に、もっと光を、もっと力を、と思う。 そういう感性と共感を広げる力を人間はもともと備えているし、思い出しさえすれば、もともとそのようにできているのだ、と思う。 そんな確信を深めさせてくれた、実に貴重で有意義な催事であった。
午後、市内にて。支持者座談会に参加させて頂く。 今日、私がお邪魔したのは、議員になる以前からずっとお世話になっている地区の皆様方であった。 いつもお世話になり、ありがとうございます。お変わりありませんか? 皆様のお元気な笑顔に、心より安堵する。 家族のような雰囲気の中、有意義な対話ができ、皆様から元気を頂いた、有難いひと時となった。 膝と顔をつき合わせ、心を通わせた、現場での対話。 政治活動を実践する上で、これに勝るものはなく、そこが議員の生命線であることを、深く心に刻ませて頂く。 その帰り際、思いがけなく教えて頂いたことがある。 “木村さんが前回来られたのはこういう時だった。前々回はこういう時で、その前はこういう時だった”、と。 つぶさに憶えてくださっていることを、本当に嬉しく思うとともに、意外だったのは、 “それはすべて、木村さんの節目の時期だった”、とのご指摘である。 言われて初めて、気づいた。なるほど、と感慨が込み上げてきた。 巡り合わせは、須らく因縁。であるならば、これからも1つ1つ。 成長の節目ごとに皆様にお目にかかれるよう、精進を忘れまい。そして。 私のなすべき報恩は、皆様との対話の成果を政治に実現すること。結果、である。 その1点をあらためて刻ませて頂き、散会となった。 皆様の満開の笑顔に見送られながら、有難くも、今日も、決意みなぎるひと時となった。