夜、松山市内にて。 中予地区二輪車販売店協会様の通常総会に、雲峰松山市議会議員とともに参加させて頂いた。 今のところ私はもっぱら四輪車で、二輪車に縁がないことを考えると、こうしたご縁を頂けることは、実に不思議にして誠に有難い、のである。 お招きを頂いた上野会長様を始め、皆様に心より感謝申し上げたい。 考えてみると、私の二輪車愛用期間は、小学校時代の自転車に始まり、大学時代の原付バイクでピリオド、である。 そういえば。 大学当時はまだ、原付にヘルメットは義務づけられていなかった。今考えると、何だか恐ろしい気もするが。 で、経験がそこで止まっているからだろう、今でもたまに、今度ヘルメット買わなきゃ、買わなきゃ、と、恐る恐るノーヘルで原付を走らせる夢を見たりする、のである。 但し、あくまでも夢の中、だけれど。 さて、総会のこと。 先に述べた通り、そもそも、私には二輪車業界の知見が、ない。なかった、というべきか。 しかしながら、ご縁を頂いてからこの間。 そこに業界の課題があること、行政への切実な要望があること、 そして、 すべての経済活動は政治と切り離せないということを、学ばせて頂いた思いがするのである。 道路行政、警察行政に、新たな視点を頂き、あらためて感謝したい、と思う。 恐縮にもスピーチの機会を頂いた私は、中小企業支援の立場からひとこと決意を述べさせて頂いた。 日本の全企業数の99.8%は中小企業であり、その皆様の発展なくして、真の経済成長も財政再建もないのだから。 ここはチャンス、とばかり、公明党の実績を少々PRさせて頂いた。 そして、引き続いての懇親会では。様々な方から、今の政治に対するご意見をお聞かせ頂いた。 私にとっては連日の対話だが、こんなこと議員の人に喋ったの初めて、という方が殆どであった。 ぞっと、した。が、人は知らず。 使命ある限り、私はどれだけ対話ができるか、生かせるか。自身への挑戦を、誓うのみである。
終日、県民相談。夜は、支持者の皆様との対話集会にお伺いする。 なぁんだ、昨日と同じじゃん。と、思われる方もいらっしゃるかもしれない。 でも違うんです、お相手も、中身も。 というわけで、今日の舞台は、伊予市である。 沈む夕日が立ち止まる町、で有名な双海地域。 日本一の中山栗、で有名な中山地域。 そして、商業都市と農漁村の両面を併せ持つ伊予地域、の内、本日お伺いしたのは伊予地域の下三谷。 支持者宅にて、日頃ご無沙汰をしている皆様と、久しぶりの、懐かしい再会となった。 ひとしきり御礼のご挨拶を述べた後は、昨日同様、フリータイム。皆様からのご意見は、引きも切らない。 やはり。こちらでも、主な怒りの矛先は、政治家と官僚に向かう。 私たちの血税を何と思っているのか、と。国民と未来に対してきちんと責任を果たせ、と。 そして。 そういう現状を打破するために、あるいは転換するために、公明党は、もっと闘え、と。 おっしゃる通りです、とばかり私は、委細もらさずメモを取り、語りながら、お1人お1人の表情とご心情を心に焼きつけた。 そして、私にできることを全部やりきろう、と心に誓った。 その他、お土地柄もあるであろう、昨日の松山市内とは異なり、農業と農村の未来に対する不安が、いや増して多かった。 時間にして、約1時間。 それは、車だと、かなり遠くまで走れる長さだが、白熱の対話となると、ほんのちょっとの長さ、だ。 また、昨日今日2日間、私が対話したその数は約100人だが、全国ネットのテレビ番組で、アナがひとこと話せば何百万人だろう、 と考えると、焼け石に水のように、小さく些細な2日間なのかもしれない。 が。 そうして承った皆様の声が、そして全国から集められた庶民の声が、やがてこの国を大きく変えていくに違いない、 そしてそれは、今日踏みしめた、地道、の延長上にこそある、と私は信じてやまない。 そんな気持ちで、皆様をお見送りし、散会となった。 あらためて。お忙しいところをお集まり頂いた皆様に、感謝を申し上げたいのである。 ��伊予市といえば夕日、といえば若松進一さん http://ameblo.jp/shin-1/ ですね。)
終日、県民相談。夜は、支持者の皆様との対話集会にお伺いする。 お忙しい中を、たくさんの方々にご参集頂き、あらためて感謝を申し上げたい。 最初に、党本部作成の政策ビデオを上映した後、対話集会の幕は切って落とされた。 今の政治に関すること、公明党に関することなど、疑問も不満も不信も、すべて忌憚なくぶつけて頂く、 その1つ1つのご意見に対して。 お答えできる部分はお答えさせて頂き、お預かりする部分は責任を持ってお預かりし、 国と地方の連携によって、政治に反映させていく、というのが、本日の対話集会の目的、だ。 忌憚なくということだから、前打ち合わせなしの、一問一答方式。 思わず、緊張で汗ばむ。同時に。 議会質問も、一問一答のガチンコ式にすれば、と、県議会を思い浮かべた。 さて。 宜しいですか?の声を皮切りに、あちこちからご質問の手が挙がった。 そのほとんどが国に対する厳しいご指摘ばかりであり、そのまま、公明党に対する叱咤激励でもあった。 1つ1つ真正面から、有難く受けとめさせて頂くとともに、この声を必ず国政に反映させる基としなければならない、と強く心に刻んだ。 それにしても、90分の時間は瞬く間、である。時間を切らなければ、延々と深夜まで続くに違いない。 それほど積もる民意を、全国各地の民意を、確かに吸い上げ、政策に反映し、実行し、また民意によって検証し。 そういう政治の実現を目指し、私たちは日々取り組んでいる。そのことがやがて、政治全体で競われるような時代を拓くために。 道のりは遥かだが、今日も1歩踏み出せたかどうかを、自身に確認する毎日でありたい、と思う。 ��適当な写真がなく、イラストですみません。)
午前、大洲市での弔問に出席。午後、県民相談と党務打合せ。 活動について綴れない日は、読書ネタ、というわけで、先週読んだ1冊。 ��官僚国家の崩壊」。著者は、自民党衆議院議員・中川秀直氏。 何かとその出版の思惑について、マスコミで取りざたをされているようだが、ともあれ一読。 結論として、私が理解したのは。 明治以降、実質的に官僚が支配してきた、わが国の、いわゆる官僚国家体制は、 政治との激しい抵抗・攻防の末、やがて終焉を迎えるであろう、いや終焉させなければならない、という彼の決意と覚悟であった。 驚いた。 自民党から、このようなメッセージが発信されること自体、一昔前ではありえなかった、と思うのは私だけだろうか。 もちろん、各論レベルでは容認できない主張も、ある。 特に、単純小選挙区制の導入については、私たち公明党としては反対だ。 三乗の法則が働く中で取り残される民意をどうするのか、本当に二大政党制でよいのか、という命題に対して、 まだ、十分にして決定的な、国民の合意が得られていない、と思うからであり、議論として本末転倒、と思うからである。 がしかし。 官僚主導から政治主導、中央集権から地方分権へ、大きな政府から小さな政府、という彼の文脈は、国民の空気をちゃんと読めているな、と思う。 日々の草の根対話で、庶民の皆様からお伺いするのは、そのことに他ならない。 ちなみに、本書のキーワードは、劣化したエリートによるステルス複合体、であり、それら勢力に対する戦闘メッセージ、が主題である。 言い方を変えると、透明化による政治のイノベーションだが、この流れは歴史的にして、不可逆の流れと私は確信する。 透明、ウェルカム。そして、政治の意思決定はすべからく、国民にあるということ。 この当たり前が、当たり前に行なわれる時代と状況を、私たちは、立場を超えて実現しなければならない、 と思うばかりである。そしてそれは、まず足下からと銘記し、取り組んでまいりたい。
朝、因島を出発。 松山の自宅へは、たったの2時間。あっという間の到着、だ。 かつて、しまなみの各島では。 車をいっぱい積んだフェリーが汽笛を鳴らしながら、ゆっくり、ゆっくりと、往来をしていた。 どれくらいゆっくりかというと、因島から今治まで、ざっと2時間半、である。 まさに、隔世の感あり。そして、イノベーションについて考えさせられる。 橋の出現によって、輸送手段は、海上から陸上に、大きく置き換えられた。 それは、今まで移動の選択肢がなかった島の生活者にとって、画期的であったろう。悲願というべきか。 なるほど生活者にとっては、選択肢の広がりは、そのまま利便の広がりといえよう。 一方で、選択されるサービスの提供者、つまり企業側からすると、それは競争の激化を意味する。 まさに。 あらゆる選択肢が用意される都会は、生活者にとって便利だが、企業からすると無数の競合との、生き残り競争の舞台であろう。 そして、競争によってこそ、イノベーションは生まれる。 公衆電話が携帯電話に、フィルムカメラがデジカメに、というふうに新たなる価値に置き換えられていったように。 それは、企業という人ごとではない、私たちも又、地域間競争、あるいはグローバル競争の中に、いる。 他のどの県にも、どの国にも置き換えられないような、独自の価値、新しい価値を、常に生み出していかねばならない。 シビアだが、やりがいのある時代、だ。 現に、私の周りにも、そうしたゆるぎない志を持ち、語り、チャレンジされる方が、最近とみに増えてきたように感じるからだ。 それは、政治の世界にも、ドンピシャ当てはまるであろう。生活者と、未来と、世界への、貢献競争、だ。 その正しい競争によってのみ、政治不信は必ず乗り越えられる、生活者基点の政治へのイノベーションが可能となる、と強く思う。 しまなみ海道を走りながら、イーグルスを聴きながら。 議員として真剣勝負の1日1日を、と、頭も心も引き締まるのであった。 ��写真は、因島から生名島を臨む、小さい頃の原風景)