1月も、今日で終わり。早い早い。 午前、わが会派の予算要望書を加戸知事に提出した。正式には、平成20年度当初予算編成に関する要望書、である。 まだ議員経験が1年も満たない私にとっては、年に1回しか行なわれない行事はすべて初体験であり、今回もそうであった。 会派の笹岡・豊田両先輩とともに応接室に通され、ご挨拶を行なった後、知事とともに居並ぶ県幹部職員各位を前に、私の方から要望書を読み上げさせて頂いた。 この要望書のもつ意味は大きいぞ、重たいぞ、と頭の中でグルグル考えながら、20分間一気にしゃべりつづけると、のどが、カラカラになった。 はたして、それは、県民の皆様の声を細大漏らさず、きちんと網羅できているだろうか。また、庶民を代表する会派としての視点に、明確に立脚できているだろうか。 この間、個々で考え、また、会派として議論を重ねてきた集大成でもある私たちの要望書は、行政カテゴリ全般にわたり232項目、内、重点52項目という内容となった。 朝から、各会派順で立て続けに要望を受けられる加戸知事も、少々お疲れのご様子だったが、ぜひとも実現に向けた前向きの検討をお願いしたいと思う。 さて、初めての私の所感はというと。なるほど、年度当初予算はこのような手続きを経て成立していくものか、ということである。 そして、手続きは、踏んだ。で、次の瞬間、思ったのは、その後は?ということである。 各会派から預かった膨大な要望を、今度は理事者側にて検討を行い、それを次の2月議会に来年度予算案として上程するのである。 が、はて?この3週間くらいの短期間で、そういった検討がはたして可能なのだろうか。 あれかこれか、を強いられる究極の財政難の中で。前例踏襲も部局権益も乗り越え、優先順位をつけ取捨選択をしながら。 会派を通じた県民の皆様のご要望が最大化されるような経営資源・財源の配分が、はたして本当に可能なのだろうか。 その議論は、すさまじいバトルになることは容易に推察できるのである。そんなふうに考えると、なんだか予定調和の感がしなくもない。 であればどうすれば、ということを考えなければならないし、それは、おそらく県民本意の、抜本的な議会改革の話につながってもこよう。 まだ駆け出しの身ではあるが、その視点を決して忘れることなく持ちながら、今、目の前に直面する1つ1つのことをしっかり受けとめてまいりたい、と思う。
午後、高知市で開催された、中小企業基盤整備機構(略称:中小機構)四国支部主催の��地域資源活用フォーラムin高知」に参加した。��ご参照URL⇒ http://www.smrj.go.jp/chiikishigen/jimukyoku/shikoku/033082.html ) 地域活性化特別委員会に所属する私にとって、いくつもの触発と感動、そして、ある種の確信を得た、実に貴重なひとときとなった。 フォーラムは、㈱玄 代表取締役の政所利子氏による基調講演から始まった。テーマは、「四国ブランド活性化戦略」。 濃密に、感動した。おそらく今。 国民・県民の皆様が、あるいは生活者が、最も聞きたいのは、こういう話なんだ、つまり、私たちにもできる、という希望とか予感、そんな気持ちにさせる講演であった。 へき地から限界集落まで、いわゆる田舎と呼ばれる、地方の私たちには、ナイ、がいっぱいある。お金がナイ、仕事がナイ、学校がナイ、病院がナイ。 そのナイナイづくしの中で、最大の課題は、人材がいないこと、と巷間いわれるが、そうではない、と政所氏はキッパリ否定する。 人材はいる、ただ、活躍の場がないだけだ、と。 もちろん、その場は与えられるものではない。かつて全盛時代の公共事業や補助金事業という幻想は、完全に捨てなければならないであろう。 与えられるのではなく、自分たちで創っていく。そのことが時代の要請であり、地域活性化の前提なのだ。 そして、その活性化の本質は。地域固有の資源を地域住民が主体となって掘り起こし、地域外から魅力ある経営資源に転換させること、と氏はいう。 完全に、同意するし、そのことは機会あるごとに私も訴えてきた。今後さらに呼びかけを強めながら、1つでも2つでもカタチあるものにしていきたい、と強く思うのである。 土壇場から元気になった事例は、全国にこんなにもあるのか、と釘付けで講演を拝聴する中で、高知県津野町のエピソードが出てきた。 廃校を利用した農村交流施設「森の巣箱」という取組みだ。どうやって、と思うほど全国からお客様が訪ねてくるのだそうだ。��ご参照URL⇒ http://www.town.kochi-tsuno.lg.jp/kanko_manabu.html ) あっという間の興味が尽きない基調講演に続いて行なわれたのは、パネルディスカッション。 ��素材とマーケットの出会い」と題して、私の元上司である三井文博氏のコーディネートにより、基調講演の政所氏と、観光カリスマ百選に選ばれた、知る人ぞ知る3氏(下記参照)で行なわれた。 そのうちの1人は、わが愛媛・旧双海町が生んだ、あの若松進一さんである。お約束どおり、会場は、爆笑の渦、である。心からの感動とともに。 その観光カリスマ3氏の成功事例に共通するものは、何だったか。 それは、今ここにあるもの、つまり地域固有の素材に、新たな価値と解釈を与え、小さな共感の輪を身近から地道に広げながら、新たなマーケットを拓いてきたということであったろう。 地域活性化は、新たなマーケットづくり。 地域資源の活用による、従来でも既存でもない、新たなマーケットは何か、考え続けたいし、今日得た、心に広がる感動と希望を、県下の1人でも多くの方に広げていきたい、と思った。 帰り道、高知自動車道のトンネルをいくつも抜けながら。足下を掘れ、そこに泉あり、との先哲の言がふと浮かんだ。 ��写真:左から、中小機構四国地域支援事務局GM・ADK四国支社長 三井文博氏、〈http://www.smrj.go.jp/shikoku/index.html〉〈http://www.adk.jp/index_ja.html〉㈱玄 代表取締役 政所 利子氏、〈http://www.kouryu.or.jp/hitodukuri/iinprofeel/Profeel_mandokoro.htm〉農事組合法人伊賀の里モクモク手づくりファーム 専務理事 吉田 修氏、〈http://www.moku-moku.com/〉夕日のミュージアム名誉館長 若松進一氏、〈http://yuuhi.jp/〉馬路村農協代表理事組合長・馬路村観光協会長 東谷望史氏〈http://www.yuzu.or.jp/〉)
県民相談、種々。心が重たくなるときも、ある。 最近読んだ潮2月号の記事もまた、重たいテーマであった。タイトルは、格差社会が生んだ“影”。 ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・プランナーの、三浦展(みうらあつし)氏による寄稿記事である。 もはや否定できない、事実としての日本の格差社会は、なぜ生まれたか。彼は、アメリカ型のネオリベラリズムを受け入れたことを主因に挙げる。 それによって、新たな階層集団が出現し、その現象を、彼は、下流社会と名づけた。が、所得が低い人々が増えた、という下層社会を指しているのではないらしい。 下流社会と名づけ、彼が提起したものは。 あくせく働いて年収500万円を稼ぐより、300万円でもいいから楽に人生を送りたい。そんな価値観をもつ人、総じて人生への意欲が低い人、が増えてきた現象であった。 そういえば、と気づかされる。 同著が上梓されたのは2005年だが、その少し前、失われた10年の間に、私の回りでもこうした価値観が広がりつつあるな、ということは感じていた。 さすが、若者の価値観研究を続けてきた、元アクロス編集長である。 話しを戻すと、その下流社会、あるいは生じた格差社会について。問題は、労使あるいは正社員・非正社員の分断による日本人としての一体感の弱体にある、と。 たとえば。フリーターを怠け者と思う正社員と、つまらない仕事を正社員はよく我慢してやってるな、と思うフリーター。 本当は、同じ時代の中を互いに苦しんでいるという共感を持つべきなのに、そこに接点がないという現実。その通り、と思う。 そこここに大きな溝を生む格差社会は、換言すると、分断社会といえそうだ。正規雇用と非正規雇用、都会と地方、高齢世代と現役世代、そして、政治と庶民。 不満とか、不信とか、対立という、この溝を、どのように埋めていくか。 そして、その溝は。どのような共感を成立させるかという、他でもない政治課題である、と痛感する。 マーケティングが事実と仮説から出発するならば、生活者が直面する様々な困難の事実から、政治はどのような仮説を立てるか問われていよう。 今日も、自身の宿題の重さと大きさを思うばかりであった。